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子供の頃から「夢をもちなさい」「夢を持った方がいいよ」といったことをよく言われる。ひところは「夢に日付を」といった本も流行ったりした。

自分も小さいころは「プロ野球選手」になりたいとか「お金持ち」になりたいって言っていたと思う。ただ成長するにつれ夢を語らなくなり、自分の夢がわからなくなっていった。

子供の夢には他にも「警察官」や「パイロット」、「お医者さん」、「パン屋さん」や「お花屋さん」などなど。子供の頃の「夢」はほとんどが”なりたい”職業だった気がする。

会社を経営するようになり、一般的な会社員が得るであろう給料と比べても少なくない報酬を得ることができていると思う。上を見ればきりがないが、小さいころの夢だった「お金持ち」に近い状態にはなっているかもしれない。

ただ、自分の中で夢がかなったという感覚はまったくない。「お医者さん」、「お花屋さん」といった夢をかなえた人でも、それで幸せな人もいれば、そう感じていない人もいるんだと思う。いや結構多くの人が幸せを感じられていないような気がする。

夢の代表格で実現することも難しい「プロ野球選手」も例外ではなく、プロ野球選手になれたところで、わずか数年で戦力外通告されて次の人生を余儀なくされる人の方が圧倒的に多い。


では、

夢を「かなえられる人」、「諦めてしまう人」

夢をかなえて「幸せな人」、「幸せを感じられない人」

を分けるものは何だろうか、自分なりに考えてみた。


夢が「かなう」か「かなわないか」を分けるもの、それは「勇気」と「努力」だと思う。夢をかなえるために「勇気」をもって一歩を踏み出す。そして、それに向かってひたすら「努力」しさえすれば、ほとんどの夢はかなえられると思う。

もちろん、「勇気」を持つことも「努力」し続けることも、とても難しいことであるから、夢をあきらめる人も多い。

一方で夢をかなえて幸せかどうかは、全く別の視点が必要だと思う。ほとんどの子供はもちろん気づかないし、周りの大人たちもほとんど気づいていないことかもしれない。

「なぜ」夢をかなえたいか、という視点。

なぜ「お金持ち」になりたいのか、なぜ「プロ野球選手」になりたいのか、なぜ「お医者さん」になりたいのか、、、

「かっこいい」から「好きだから」といった理由がほとんどだと思う。中には「親にすすめられた」からといったこともあろう。

もちろん「好きだから」というものも理由としては素晴らしいことだと思う。ただ、華やかな一面、良い部分だけを見て憧れた「夢」が現実になった時、または目指している途中でも、裏のドロドロした一面や大変な苦労を経験し知ってしまうと、「こんなはずじゃなかった」という思いが間違いなく出てくる。

そのようなことが積み重なると「好きだったこと」が「辛いこと」「嫌いなこと」になって、夢をあきらめてしまう。そして「夢をあきらめた自分」に自信が持てなくなったり、自己嫌悪に陥ったり。

そうならないためには、夢をかなえて「どうしたいのか」、「どうなりたいのか」を踏み込んで考えることが重要だと思う。

・「プロ野球選手」になってたくさんの子供たちに「夢をあたえたい!」

・「お金持ち」になって困っている「人を助けたい!」

・「お医者さん」になって病気の「人を助けたい!」

・「お花屋さん」になってたくさんの「人を幸せにしたい!」

というように、結局「夢」というのは職業ではなく、

「夢をあたえたい!」「人を助けたい!」「人を幸せにしたい!」

という「何を成し遂げたいのか」ということになるのだろう。

そこをはっきりと意識できていれば、どんな職業につこうと夢をかなえる事はできるし、幸せを感じる事ができると思う。


そう思うと、いくつになっても夢はかなえられるものなのかもしれない。

人生の折り返しに差し掛かったが、もう一度、自分の夢を真剣に考えてみようと思う。

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