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シーズン1。


最近、ある方に「富川くんが実現したいことからすると、まだ序章なんだろうね。」と言われた。

自分の活動を人にプレゼンする機会も多いけれど、「序章」という捉え方はしていなかったので、確かに序章かも、と妙に納得した。

遠野に来て2年3ヶ月。お陰さまで多くの機会をいただき、色々なことをさせてもらっている。(昨年のお仕事。更新できていない…)

ちなみに今やってることを書き出すと、

●富川屋として
集落の本づくり、とある事務所のコンサルティングからWEBサイトとパンフレット制作、コンサートのチラシづくり、遠野の会員組織のWEBサイト制作、商品/人物の写真撮影、とある協議会の映像制作、移住促進映像の現地コーディネート

●to knowプロジェクトとして
to knowプロジェクト自体の組織のあり方・事業・見せ方考案中、おもしろTONO学(毎月のフィールドワーク)の企画・運営、小学校の演劇の演出・プロモーション、中学生と映像づくり、高校生と街場のツアーづくり、ライブ、アーティストインレジデンス、民宿/体験農家さんの紹介サイト制作、遠野の魅力を紹介するポータルサイトの制作

●その他関わっていること or 趣味的にやっていること
・遠野ハンドクラフトプロジェクトの撮影など
・塚沢神楽の木村くんの撮影(年に1回ほど)


などなど。

まだ書けないものもあるので、約20ぐらいのプロジェクトを動かしている(数えると意外に多かった)。意図的に絞っているわけではないものの、すべて遠野を舞台としたものだ。ありがたいことに打席に立たせてもらっている。


冒頭の言葉に戻る。

「まだ序章なんだろうね」。

これに対する印象としては、確かに序章かもしれない、と思う。

なぜなら、いま取り組んでいるものは、プロモーションする対象こそバラバラだけれど、根底はすべて同じスタンスで取り組んでいて、数年後にそれらが融合していくイメージがあって。その融合する時がシーズン1の最終章的な感じなのかなと思っている(全然関係ないが、妻はバチェラーにハマっている)。

いずれも根底にあるスタンスというのは、シンプルにいうと「地域性を感じられるものをつくる」ということ。

遠野は、『遠野物語』の物語性、異界感、里山的自然、古くから伝わる習わし、日常生活の中の郷土芸能、生活文化、農業、手仕事などの古きよき文化が詰まっている地域性が際立った場所であり、そこから生まれたものをプロモーションする際には、その辺りをきちんとストーリーづけてあげたいなぁと思っている(当たり前のことだけど)。その方が情報の受け手には届くし、心に残る。

なので、現在、種蒔き中の地域性を感じられる様々なコンテンツがやがて芽を出し、オセロがひっくり返るように同時多発的につながるとき、遠野の魅力が今よりも重層的に、強く伝わると考えている。

そして、つながっていくコンテンツは身内のプロジェクトだけの話ではなく、例えば
●遠野の魅力のひとつである農家民泊の取り組みとつながるだろうし、
●どぶろくなどの発酵文化ともつながるかもしれない
●「ビールの里」に向けた取り組みともつながっていくだろうし
●古い建築物の活用する取り組みともつながっていくだろう
(いずれもバイネームで手を取り合える方々だ)。

それらは、いずれも遠野という「地域性を感じられる」ものであり、例えば遠野物語の舞台に赴き思いを馳せ、神社で郷土芸能を堪能し、夜はクラフトビールで乾杯して、どぶろくに地域性を感じ、お土産に遠野のくるみで作った籠編みを買って帰るとか。そういったものが立体的につながっていくイメージかなぁと。
そして、遅くならないうちに、こうした「遠野の地域性を感じられる場所・プラットフォーム」的なものもつくりたい。どんなものを目指しているのか明確になるはずだし。 それはきっと to know の冠がつくと思う。



と、そんなこんなで、自分の中ではこういったところをまずは目指しているので、そうすると現時点が「序章」であることも納得できる。


一方で、まだ地域に入って2年しか経っていないので、そういう意味でもまだまだ序章だと思っている。まだまだ勉強が必要だし、もっと地域を歩いて回りたいし、入り込みたい。何よりここ特有の時間の流れがある。急ぐよりも関係性をきちんと作りたい。お祭りシーズンはそんなことを強く思う。


とまぁつらつら自分の脳内を整理しながら書いてきたが、夏場はそんなこと考える余裕もないので一旦10月末まで走り切り、次の章のことは長い冬に考えようと思う。と書いていたら気温が17度になって秋かよと思ったけど。


それではまた。つづく



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