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學鐙 夏号(Vol. 120 No.2)

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學鐙 夏号(Vol. 120 No.2)の掲載記事をまとめました。特集「いま私たちが学ぶべきこと」(2023年6月5日刊行)
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記事一覧

養老 孟司「学ぶということ」

 学ぶことを取り立てて題材にするのは、学ぶことを人生の当然と思っていない証拠である。人は日々学ぶ存在で、「学ぶ」は「生きる」中に含まれている。  わが国では、学ぶには努力がつきものという偏見?がある。努力して学ぶのは最低で、好きで学ぶのがその上、いちばんいいのは学ぶこと自体を楽しむこと、「これを楽しむにしかず」と論語にもある通りである。  生きることと学ぶことが乖離してしまうのは、学校教育に原因があると思う。教育が社会的なシステムとしてそれ自体の独立性を強めるほど、日常生活と

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内田 樹「いま私たちが学ぶべきこと」【全文公開】

 いきなり「ちゃぶ台返し」をするのも申し訳ないのだけれど、「いま私たちが学ぶべきこと」という問いの立て方が「ちょっと違う」ような気がしたので、それについて書くことにする。たぶん、すごくわかりにくい話になると思うので、覚悟して読んで頂きたい。  「学ぶ」というのは一言で言えば「別人になること」である。だから「私は学ぶ」という文型を私はどうもうまく呑み込むことができないのである。それは「学び」がほんとうに起動した場合には、「私」という主語はもう同一性を持ちこたえることができないは

山口 謠司「「経」を棄てるか」

はじめに  「経済」という言葉が「経世済民」を意味した時代が終わったのはいつだったのかと思うことがある。  「経済」は、もはや「世を経て、どんな時代が来たとしても、人々を済う」ことから、「利益」を追求するものでしかなくなってしまった。  人文科学、社会科学、自然科学などという分野でそれぞれの学問が分化し、さらにそれぞれの「専門」が極端に狭くなり、研究者同士の話が通じなくなってしまった。そして、研究教育が基軸であったはずの大学で、毎年「助成金」「科研費」「研究費」など、お金の

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尾島 巌「現代版「和魂洋才」のすすめ」

 光陰矢の如し。筆者もいつの間にか喜寿を祝い、じきに七十八歳になる。米国大学で研究・教育に携わっているお陰で定年は無く、自分のエネルギー、研究費、研究指導を依頼して来る大学院生、博士研究員が続く限り現役で居られるので、現在も多忙な生活を楽しんでいる。ただ、大学院で研究を始めた頃に日本化学会、米国化学会の会員になったが、既に五〇年を超え、ニューヨーク州立大学に招聘されてロングアイランドにあるストーニーブルック校に赴任してからでも四〇年になる。そう考えてみると、筆者も若い世代の高

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礒津 政明「人の創造性とテクノロジー」

 人類史を彩るテクノロジーの発展は、その起源をたどると、意図的に鋭利な石の形をつくり、道具として利用していた石器時代までさかのぼります。ホモ・サピエンスが他のどの種よりも特に優れていたのは、様々な用途に対して道具を自在に改良できる能力でした。これにより、肉体的には他の動物よりもはるかに劣っていた人間でしたが、地球上で最強の地位を手にすることとなります。  優れた道具はある日突然生まれるわけではありません。人類は改良した道具を後の世代に受け継ぎ、時代とともに知識と経験を総合しな

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青柳 いづみこ「歌うピアノをめざして」

 二〇二三年二月、フランスのヴァイオリニスト、クリストフ・ジョヴァニネッティとのデュオで日本各地でコンサート・ツアーをおこなった。  曲目には、ドビュッシー、ショーソンなどフランス音楽の他に、シューベルト『ヴァイオリンとピアノのためのソナチネ』三曲がはいっていた。古典のソナタは形が明確だ。まずヴァイオリンがピアノの伴奏で第一主題を奏でると、次は攻守交替して、ピアノが同じメロディを弾くことが多い。  それとはさとられぬようにピアニストが脂汗をかくのは、この場面なのである。  ピ

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