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そもそも面白いんだからなんだっていい。これからも島にいるインターン伊藤より。【YOUは何しに学習センターへ?#番外編】

どうも、伊藤亮太です。
2021年4月から約1年間、隠岐國学習センターでインターンをしていたものです。インターンが終わっちゃったので最後に色々と残しておこうと思います。

おっとその前に、インターン同期の水越がめちゃくちゃいいものを残しているので是非。

僕はこんないいものを書けないです。気休め程度に読んでいただきたいです。という感じであざとく予防線を張っておきます。水越、力作を予防線に使ってしまってごめんよ。


なんか予測できるなぁ。そんで面白くなさそうやなぁ。

海士に来た「理由」は特にないのかもしれません。違和感から逃げて、感覚の赴くままに小さな選択を積み重ねたら、最終的にご縁があったところがたまたま海士だったという感じでしょうか。なんかカッコつけてるかな?まぁでもそんな感じなんです。

海士に来るに至る最初の大きなきっかけになってくれたのは就活です。なんか今までに感じたことが無いぐらいの違和感というか不気味さを感じてしまいました。みんなが不自由になっていく感じというか。なんというか。

それに参加した先の自分の未来もなんとなく予測できてしまったんですよね。その予測できる感じが面白くなさそうだった。そういう風に感じたので一旦休学することを決めました。

休学することが決まって、どうせ休学するなら何かしたいなぁと思って、そこから色々と考えました。その後はさっきも言ったように偶然の連続です。「偶然」に携わってくださった面白い人たちには感謝してもしきれません。


全然違うけど、みんな面白い

海士に来て本当に色んな人と喋りました。年齢性別関係なくとにかく色んな人と喋った1年だったと思います。

それでいて、この1年で触れ合った人たちはとにかく面白かった。自分が持ち合わせていない感覚を持った人たち、僕の感覚を面白がってくれる人たち、まぁとにかく今まで味わったことがないような色んな面白さを持った人たちと出会えました。年齢も性別もバックボーンも色々だから、それぞれ面白さは全然違うけど、みんな面白かった。

それぞれの違った感覚を「面白い」と思えるようになったのは、僕にとって大きな変化だと思います。今までの人生では自分の面白さの感覚だけに「面白い」を制限しすぎていました。「自分の感覚と違う=面白くない」じゃなくて、「自分の感覚と違う=自分には味わえない感覚をその人は味わえる=面白い」みたいに変化したように感じます。


「面白くない」理由を探すより「面白い」理由を探したほうがいい

そうやって色んな人と触れ合って、色んな人の面白さを知っていくなかで、「あれ?面白い人ってこの世にいっぱいいるんじゃないか?」と思うようになりました。

それと同時に、今までの人生で頭ごなしに「面白くない」と判断してしまった人たちがたくさんいたように感じました。その人たちを「面白くない」側に無理に押し付けることで、自分を「面白い」側だと思いたかったんだと思います。

人に限らず、他の色んなことに関しても同じことが言えます。これまでの人生は一歩踏み出そうとするとき、何かにつけて「面白くない」と判断できる理由を見つけては頭ごなしに否定することで、実際に踏み込んだわけでもないのにそれらを俯瞰できたつもりでいたと思います。おそらく、実際に一歩踏み出す自信は無いけど、プライドは高かったから、対象を否定することでしか自分を保てなかったのでしょう。

色んな面白さがあることを知らなかったし、認めたくなかったから、その時に持っていた自分の面白さのものさしを肯定するためだけに、周りに散らばっていた面白さの可能性の芽をたくさん摘んでしまいました。もったいないことをしてしまったなぁと今さらながら思います。

島に来てから、どうせいつか終わりが来るから、どうせなら面白がったほうがいいなぁと強く思うようになりました。「面白くない」理由を探すんじゃなくて「面白い」理由を探したほうがいい。斜に構えて面白がらないのは不自然。めんどくさい。そういう風に考えるようになりました。実際に色んなことを面白がれるようになったし、色んなことに踏み出せるようになった気がします。


そもそも面白いんだからなんだっていい。好きにやればいい。

こういった変化が起こったのは、僕の周りにいてくれた人たちのおかげです。楽しいこと迷わず楽しめる人、普通なら楽しさを見出せない状況から楽しさを見つけ出せる人、そういった楽しむ力を持った人たちから多くを学びました。

そしてなにより、人間の存在自体を面白がってくれる人たちに囲まれていたことが大きな要因だったと思います。そういう人たちのおかげで、僕の存在自体に誰にも測れない面白さがあるんだから、どういう風に変化しようが、どういうことを面白がろうがなんでもいいんだと思えるようになりました。「周りからどう見えようと、そもそも自分は面白いんだから気にすることではない」という前提を持てたことで、色んなことが楽になりました。今まで周りの目が気になってできなかったことや言えなかったことを解放できるようになった気がします。


考え込まず、適当に。少しの憂鬱に引っ張られず、満たされているという現実を大切に。

こんな感じで、この1年は本当に人に心を救われ続けた1年間でした。この1年で出会った人たちのおかげで、これからも十分に満たされた人生を送っていける自信があります。手放しで僕を面白がってくれる人がいるからそれだけでいいや、なんでもいいや、という感じです。

時々日常の些細なことで悩んで、苦しいほうに流れてしまいそうになると思います。でも、少しの悩みを改善するために考え込んで、ネガティブな気持ちに引きずり込まれるよりも、もう既に現実にある十分な幸福を存分に受け止めて、現実を面白がっていきたいと思います。あまり考え込まず、適当に、いい加減に、どうせなら面白がってやります。

だいぶ変わりましたね。それだけこの1年は濃い時間だったということです。僕の周りにあった色んなものに感謝しかないです。

改めて、この1年で僕と関わってくれたみなさん、本当にありがとうございました!お元気で!



【あとがき:変化をもたらしてくれた人たち】

・島前高生のみんな
みんなと喋っているなかで、新たに感じることができた感覚がたくさんありました。大人とか子供とかそういう区別ってないですね。使っている感覚が違うだけで、賢さとか面白さに上下はないということに気づかされました。みんなそれぞれ一人の人間として味があって面白かったです。
みんなのこれからが面白くあることを願っています。色んな選択があって悩むこともあると思いますが、なんでもいいけどそれでいいと思います!

・魅力化スタッフのみなさん
しがない大学生である僕の意見を真摯に受け止めてくれる、懐が深すぎる人たちでした。この人たちなら1回受け止めてくれるだろうという安心感が半端じゃない。今までの人生で色んな感情を味わってきたからこそ、色んな人間に寄り添えるんだろうなぁという感じがしました。1年間本当にお世話になりました。みなさん本当に優しい。めっちゃ色々考えてる。パワフル。柔軟。
これからも色んな人たちを包み込んであげてください!

・学習センターのみなさん
1年間本当にお世話になりました。ただ自分でいるということをこんなにも許してもらえる場所はなかなかないと思います。存在を絶対に受け入れてもらえるという安心感と、個性を発揮しても受け止めてもらえるという信頼がありました。みなさんもそれぞれに個性を発揮していて本当に面白かったです。そして、みなさん本当に優しい。細かい気配りや、思いやりのある声かけに何度も救われました。みなさんの存在にこれからも救われ続けると思います。みなさんお元気で!

・水越と季理
同期の水越と同居人のきり。本当に二人に支えられた1年でした。豊かな時間をたくさん共有できて幸せでした。ありがとう。
それにしてもめちゃくちゃ喋ったね。色んなことを喋ったけど全部面白かった。二人のおかげで色んな引き出しが開きました。今後ともよろしくね。また喋ろう。元気でいてくれるだけでいいです。

他にも取り上げたい人はいっぱいいるんですが、きりがないですね。また直接お礼を言います。みなさん本当にありがとうございました!これからも健康でいてください。ちなみに僕はこれからも島前にいるので、今後ともよろしくお願いします!



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