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大切なものは大切、それでいい。明日島を去るインターン水越より。【YOUは何しに学習センターへ?#番外編】

どうもこんにちは。
昨年の4月から学習センターでインターンをしていた水越です。
茨城県出身、21歳、大学3年生です。
初めましての方も多いと思いますが、私は明日島を離れるので、初めましてでさようならですね。

私は自我が強いので、島を離れる前にどうしてもnoteを書いておきたい!という思いに駆られ、離島直前にこれを書いています。
明日の今頃はもう島にいないのか…実感がわかないなあ。ただ寂しい。

私が島に来た理由

ではまず初めに1年前の自分を振り返って。

島に来た理由は、なんとなくこの選択の方がワクワクしたからです。感覚ですね。劇的な心配性のくせに、今回に関しては、ふわっと、特に心配もなく来ました。

それまで私は東京の大学に通っていたのですが、人間関係や社会のもろもろに疲れ果て、社会から避難する場所を探していました。

ド田舎出身で人混みが苦手、飲み会も無理、斜に構える癖があって流行りの波にも乗れない。なのに無理矢理キャラを作って、ごまかしごまかし生きてる感じ。それが嫌で、ちょっと人間と距離を取るようになって。生きるってなんだろうって考えた末に、博物館で恐竜の化石を見つめながら、「こいつらも生きて死んでいったんだな。時は流れていくんだな。」とぼんやり考えているような大学生でした。

当時は東京のど真ん中で暮らしていたのですが、街行く人がみんな窮屈そうで正直しんどかったです。なんでそんなに速く歩くんだろう、なんでスマホばっかり見てるんだろう、なんであんなに高いビルに住みたがるんだろう、そもそもあのビルどうやって建てたんだ?とか、初めて住んだ都会には違和感がいっぱいあって。ついつい見上げちゃう感じ。なんでか就職して自分がその中に入っていくことが全く想像できませんでした。かといってゴーイングマイウェイには振り切れず、自分のあり方そのものがふわふわグラグラしていていることに頼りなさを感じていました。

たぶん自分のあり方に対する違和感が一番大きかったんですよね。上澄みをすくい取って集めたような自分がなんか嫌で。その違和感から目を背けて生活し続けることがぼんやり怖くて、都会から離れてゆっくり自分の生き方やあり方を見つめ直したいという思いから島に行くことを決めました。

と書いてはおりますが、これはあくまで直感を頭で分解して整理したものなので、すごく綺麗です。シンプルにこっちの選択の方がなんとなく良さそうだったから来たってだけです。

頑張らないことを頑張る

以前は「何かやりたいこととかあるの?」と聞かれるたびに、いかにも向上心がありそうな綺麗なことを並べていました。それをやりすぎて、自分が本当にやりたいことやワクワクすることにモヤがかかってしまって。

今まで背伸びをし続けてきた分、この1年は頑張らないことを頑張るようにしていたように思います。思います、というのは、初めから特になんの目標も立てずに過ごしてきたので、後付けでしかないからです。振り返ってみるとそんな風に過ごしてきたなあという感じですね。

きっかけはたくさんあるけれど、頑張らない。ちょっとでもウッって思ったら一旦立ち止まってみる。疲れたら寝る、疲れる前に寝る。休息を妥協しない。そしてゆったりワクワクに飛び込む。この繰り返しの1年でした。

「頑張らなきゃ」を手放してみると、なんとなく自分をみる自分の目が育ってきたように思います。何ができやすくて、何ができにくいのか。体調はどうか。どんな感情を抱いているのか。今まで意識を向けてこなかったものが見えるようになってきて、自分の状態に敏感になりました。自分の「好き」が分かるようになったな。

これはインターン同期の伊藤の受け売りなんですが、人間、自分という乗り物を上手いこと乗りこなしていくしかないんですよね。例えば、気圧の変化に弱い、まぶしさが苦手、周りに引っ張られやすい、とか色々生きにくいポイントはあるけれど、それを上手く操縦してやっていくしかない。その操縦のコツを、頑張らないことで知れたんじゃないかと思います。幸せになりやすくなったというか、幸せの方に舵を取れるようになったというか。

あと、できやすいこととできにくいことが分かったのは大きいです。人間そりゃ元から性質はバラバラなんだから、できやすいこととできにくいこともそれぞれなはず。私ができにくいことは誰かのできやすいことの可能性が高いから、そこはお任せして、できやすいことを積極的にやろう。遺伝子レベルの問題なんだから、できないからといってクヨクヨするのは違うなと。これも伊藤マインドです。いい感じのマインドを染み込ませてくれてありがとう!

「水越日向子」という一人の人間として面白がってもらえた

そもそも私がこの感じでいられたのは、学習センターの雰囲気やスタッフの皆さんあってこそです。すごく頑張ってもいいし、無理に頑張らなくてもいい。いい意味で期待されていない安心感がありました。こんな場所は初めてです。大変お世話になりました。

みんなが自然体だから、自分も自然体でいられる。なんかクサイですね、キャッチコピーみたい。でもほんとにそんな感じで。センター長の竹内さんはキャベツの話ばっかりするし笑  安心してボケられるような気取らない不思議な場所でした。何気ない雑談がすごく楽しかったなあ。みんながみんなを当たり前に大切にできるってすごい。

そういう土台があるからこそ、ちょっとした違和感を言うことができたり、体調が悪い時にちゃんと言い出せたり。自分の短所だと思っていた部分もちょっとずつ出していけて、それもまるっと受け止めてもらえるのがありがたかったです。まあ「出していける」というより、公私の区別をつけられないから出ちゃうみたいな感じではあるんですが。

なんだろう、スタッフの皆さんも、友達も、高校生も、ここで出会った人たちは割とみんな話を聞いてくれるんですよね。「話を聞く」って日常に溶け込んでいることだけど、すごく難しいことでもあると思うんです。しっかり聞くには体力が必要で、どうしても聞き流してしまう。でも、みんなすごく聞いてくれるんですよ。あまりにも「聞く」ことが日常的だから、私はそれに驚いてしまって。相手を分かろうとする体力のある人が多いのかな。

話を聞きながら、新しい目で私を見ようとしてくれることもすごくありがたかったです。自分の価値観や感じ方を傍に置き、たまに混ぜつつも、「水越日向子」という一人の人間として面白がってもらえる。

今までは、自分の長所ばかり探して、綺麗な部分で生きている感覚があったので、褒められても自分を認められなかったんですよね。褒められそうなところを構成して生きてるもん、当然だなと思ってました。でも、ここでは弱みも出しながら、水越日向子としてまるっと生きられて、しかもその私を面白がってもらえた。こんなにありがたいことはないです。自然体の水越で生きて、それでもみんなに大切にしてもらえて。ずっと何かに怯えていたけど、なんかもう大丈夫だなって思えました。まだまだだけど、自分の足りない部分や弱い部分を愛せるようになったら、もう人間最強ですね。

大切なものは大切、それでいい。

島に来て、学習センターという場所で働き、たくさんの人と暮らして、人と関わることで本当に人生は豊かになるんだと納得しました。東京では人間と距離を取っていた私、すごい変化です。

いろいろたくさん頭で考えてきたけど、結局大事だなと思うのは、頭を通しすぎないこと、頭でこねくり回さないことです。ぐるぐる考えてしまうのはしょうがないけど、その時に幸せを感じられるようにしたい。大切なものは大切、それでいい。大事にすることに理由を見つける必要はないなあと気づきました。

ずっと「愛」っていう言葉に違和感を抱いていました。それで色々ごまかされている気がしてしまって。でも今は、愛ってそんなごちゃごちゃしたものじゃなく、シンプルに「大切にすること」なんだろうなと思うようになりました。頭でこねくり回していたら、たぶん見えなくなってしまうもの。

たくさんの人に大切にしてもらって、自分も少しずつ大切にできるようになり、ふわっといろんな愛にくるまれた1年でした。本当にたくさんたくさん感謝しかないです。この1年がこれからの私を生かしていくんだろうなと思います。

もう私は大丈夫。なんとかなるし、なんかこの先も楽しくなるでしょう。

長々と自分語りをすみません。読んでいただきありがとうございました。



インターン同期伊藤と伊藤の同居人のきりちゃん。幸せをありがとう!



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