【人生劇場#58】ゲスト:阿部裕志さん
「みなさん、こんばんは。阿部裕志といいます。」
2024年5月20日(月)、
本日の人生劇場のゲストは、阿部裕志さん。
みんなの視線を一手に引き受けながら、やわらかな笑みを浮かべている様子が印象的なひとだ。
「今45歳で、この島に来たのは29歳のときなので…17年目になりました。
29歳のときに移住してきて、会社を友だち3人と起業して、『風と土と』という会社をやっています。」
株式会社「風と土と」__…”かぜつち” と聞いて、おっ!とか、なんか聞いたことあるぞ、となる島前高校生は多いんじゃないかと思う。
たとえば、「風と土と」がやっている3つの事業のうちの1つ、企業で働くひとたちに向けての研修プログラム「SHIMA-NAGASHI」というのがあって、そのプログラムの中の「高校生対話」では、島前高校生が研修中の大人たちと対話をする。
高校の「地域共創実践活動」では、インターン先として受け入れてもらったひともいる。
わたしはというと、高校生対話に2回ほど参加したことがある(1年生のとき、まったく知らない大人と考えてることとか悩みについて一対一ではなす、というふしぎな体験だったのでよくおぼえている)のと、高校の図書館に、風と土とからあたらしく本が出版されるたびに新刊の棚に置かれるので、お、と思ってみている(みているだけ…)(風と土とは出版事業もやっている!)。
ほかにもたぶん、いろいろ、なんらかの形で関わる機会があるんじゃなかろうか。ちなみにさいきん会社のHPがリニューアルしたそうです。
・・・
全体の流れとしては、
「阿部さんはどんな高校生だったんですか?」
という質問を皮切りに、
小学生の頃の阿部さんにはじまり、中学生、高校生、浪人生、大学生…そして現在の阿部さんにいたるまで、ていねいにそれぞれの時代のエピソードを語ってもらった。
どのエピソードも、あの時間で話されたエピソードたちをすべて聞いた上で、あれらの出来事があっていまの阿部さんが、いる…!!という納得感がすごいので、抜粋してしまうのが惜しいのだけど、がんばって抜粋してみる。
というわけで、ここからは、人生劇場に参加していたお友だちにおねがいしてみせてもらったメモ(掲載許可済み)とともにどうぞ。
・・・
弱い自分
「お前、いろんなやつと仲良くしてたり、頼まれたら断らないけど、お前は本当に良いやつなのか、断れないただのバカか、どっちだ?」
中学生のころの阿部さんが友人から言われたという言葉だ。
そう聞かれた阿部さんは困った。そりゃそうだろうなあ。
言ったひとはどっちの阿部さんを期待していたんだろうか。
友人から放たれたこの言葉は、30年たって大人になった阿部さんの心にも深くささっているそうだ。
「弱い、とか自分の意見をあんまり強く言えないとか、人前に出れないっていう感じだった。たぶん今とだいぶ違うと思う。」
「経営者って、意思決定をする “強い人” ってイメージがあると思うんだけど、…あんまなくて、「どう思う?」って聞いて「なるほど、なるほど」っていう、」
今でこそ人と話すのが得意そう、と言われる阿部さんだけど、どうやら小さいころは人前で喋るのも苦手だし、目立つようなタイプではなかったらしい。
そんな阿部さんが、今は働いていたトヨタを辞めて海士町に移住し、起業した会社をやっている。
海士町に移住することも起業することも、おおきな決断だったはずだ。
どうして海士町だったのか、どんな思いで「風と土と」をつくったのか、さらに疑問がわく。
現在地点からさかのぼってみると、今の阿部さんに行きつくまでにさまざまな出来事があった。
小学生のとき、友だちの馬場くんから児童会長選挙の応援演説を頼まれて引き受けたはいいものの、緊張しすぎてなにも話せず、落選して泣かせてしまったり、
友だちいっぱいいるねと言われるけれど、ほんとうはいないんだ、人に嫌われるのが怖いだけなんじゃないか、と悩んだり。
志望大学に落ちてから、死にものぐるいで勉強し、ストレスで肝臓と腎臓と膀胱をこわしたり、センター試験一週間前に恋人に振られたり…。
そうしたはっきりしない弱い自分や、たくさんの失敗、打ちのめされる経験をするたび、なんでだろう?どうしてこうなったんだろう?とよく考えていたそうだ。
そのうち、「ゆとり」や「生きる力」といったものにだんだん興味がわき、大学時代はアウトドアサークルや有機農業研究会に入ったり、バックパッカーとして世界中を旅したりしていたという(ちなみに、初めて行った外国はイラン)。
そんな大学時代のある日、満員電車に乗っていた阿部さんに、ある “問い” がふってきた。
「ある日、満員電車に乗ってて。
その前の日まで海外を旅してたの。旅してたら、知らないおっちゃんと話したり、人生を語り合ったり、まさに人生劇場が旅先で行われるみたいな。
アウトドアやってて山で出会うと、知らない人同士で挨拶して、助け合ったりとか。
なのに、満員電車で隣り合ったおじさんと肘があたったりして、この人嫌いって思った瞬間に、
あれ、「この人誰?」って、
嫌いっつってるけど、「だれ?」って。」
「もしかしてこの人と昨日、旅先で出会ってたら、人生語り合ってたかもしれないとか、あれなんでこの人と僕は今こんなに嫌な関係になってるんだろうって、ふと疑問に思っちゃって。
もしかして良い出会いができたかもしれない。ギュウギュウに詰め込まれて隣になったから嫌な関係になったんだよね。
誰だつめこんだやつは?
なんでこんなギュウギュウなところに僕はいるんだろう?って」
この唐突にひょん、と顔を出した問いに引っ張られるようにして、ふつふつと疑問が湧きあがる。
効率的に目的地に行くために満員電車に乗ったことで、隣り合わせになった人といやな関係性になって、なんかこれ変じゃない?
人間同士、もっと豊かな関係性がつくれていいはずなのに、
社会が発達すればするほど、人間関係が悪化するってなんか逆じゃない?
「このままでいいの?この社会の発展の仕方でいいの?って思っちゃった」
「その思いは今も一緒。
トヨタで働いても、この競争の先で誰が幸せになるの?ってやっぱり疑問に思っちゃって。そこに対して疑問を投げかけるために海士に来て、」
「世の中に対して、疑問の投げかけを研修という形でやったり、うちの本もそういう感じ。
『わかりあえる』って本当はどういうことなの?とか、『食べる』ってどういうことなの?とか。
みんなが考え直す「問いかけ」をしたいっていうのが、大学時代に満員電車で気づいたときから、変わらない。
たぶん一生それやっていくんだろうなーって」
最後に、参加者からこんな質問が出た。
「会社をつくろうってなったときに、どんなことを大切にしたいと思ったんですか」
「今は、会社ではたらく誰もが『ここは自分の会社だ』『わたしの会社はね…』って自分を主語にして語れること。
そう思えるのって、自分が変えられる、決められるっていう自分の意志が反映される手応えを感じているからこそ、言えると思う。
言っても無駄だしとか、あの人が決めてるし、ってなるとたぶん「私の会社」って思えない。
それで、給料を自分たちで決めるっていうことをやっている。
そもそも給料ってなに?なんの対価としてもらえるのか?っていうのを話し合って」
「どうやったらそんなことが成り立つんですか!?」
「でしょ、これが超~むずいの。みんなで悩み中。5年やってる」
問いかける必要性が社会から軽んじられていたり、そもそも問う(疑問をもつ)ことすら認められていない問いたちが、行き場をなくして亡霊のようにさまよっているこの世で、
そういうものとふと目が合っても、すいっと流してしまうか、つい自分の心の中だけにしまって、なにもありませんよと平気な顔をしてしまいがちだけど、
ほんとにこれでいいの?みんなこれでいいとおもってるの?ってこと、じつはけっこうそれぞれ抱えているんじゃないか、と話をきいていておもう。
みんなトトロいいなって言うのに、トトロじゃない方にどんどんすすんでいってるみたいな感じ、というたとえが話の中で出ていた。
わからない、とか場の空気がよめない、ことは時に未熟なことだとみなされるということ。
それをおそれて、わかったふりをしたり答えっぽいものを掲げてその場をやり過ごす。
ほんとうにそれでいいのか、それはほんとうにしょうがないことなのか?、わたし(たち)はなにを望んでいるのか
顔をしかめてみたり、おろおろと戸惑ってみたり、無理に強がることなく、よわいままで、
これ、どういうことなんだろ
じつはあんまりわかってないんだよね。これってなんなんだろねと
そういうことを、みんなでもっと、ちょっとずつこぼしてみたいなと思った。
そうやって、だれかの問いかけがぽたりと溢れて、じわりと空気に滲む。
当たり前だと思っていたものがあたりまえでなくなっていく瞬間、そのとき、わたしの、あなたの、みえたもの考えたことを話し合ってみたいなと思う。
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