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【人生劇場#57】ゲスト:ソウダルアさん ~食卓をつくったウクライナでの活動を経て~

-人生劇場-
10人集まれば、10の生き様がある。
様々な分野の方をゲストに迎え、”人生”について語ってもらいます。
時には質問をしたり、みんなで対話を重ねたり。
そうしてひとつの空間をつくりあげていく、
60分のライブイベントです。

高校1年のにながわです。
この文章書くにあたって、他の人生劇場の記事もいくつか読んでみたんですけど、そしたらどんどん書きにくくなってしまって、夜な夜な書いたり消したりを繰り返してます。
文章を書くこと、そこから派生して感じたことを、全然関係ないけどちょっと書きたくて、書きます。

 この人生劇場のnoteにもちょくちょく出てくる池田茉生さんの文章の書き方がすごく好き。
 参考にしようと思って色んな人の文章を読んだけど、茉生さんの文章は面白くてわからないと思った。なんかふわ〜ってしてて、真似できないし、真似しようとしても根本的に何かがちがう。まるで絵画について話すときのように、自分のボキャブラリーではとても言い表せられないし、口にするとなんていうか風船がしぼむみたいで、やっぱり違うなって思う。
文章を書いているというよりも、頭の中に浮かぶ言葉がパソコンの白い板に打ちつけられているみたい。頭にとことん正直。
 面白い文章をかけるってことは、それだけ自分に何かを持っているってことなのだろうかって思ったり。みんなかけがえのない存在だよとかそんなのじゃなくて、間違ってるかもだけど、自分に自分を持っている人になりたいなって漠然と思ったり。
 自分は平々凡々だと思うからこそ、そういう人に圧倒的な憧れがある。
誰にも代わることのできない自分になりたいって。
 人生劇場というものが面白くて好きで、それはたくさんの面白い生き方を知るのが楽しいからだと思うんだけど、本当に正直に言えば、ちょっとそういうのもあるのかなって思いました。自分が特別な人間になるための糧にしたいみたいな。
 特別な存在になりたいって、生きていくなかできっとずっと変わらずある欲なんだろうなと思っていて、そういう理由で経験を積んでいくのってどうなんだろって思ったり、今、本当に発展途上の途中の途中にいる感じがしています。発展途上だからこそ、そんなんだからこそ、自分を形づくるものを掴むために人生劇場にいくのかなという気もしています。

ということでここから人生劇場の話に移っていこうと思います。

 今回のゲストはソウダルアさんという方で、出張料理人という仕事をしているそうです。
 北は知床から、日本中様々な地域に行って、料理というより
 「食卓をつくる」
 行った先の地域にはそれぞれ、豊かな生態系があり、その中に人々の営みがある。それとひとつなぎに作物だったり、料理が生まれている。
だから、その流れすべてをひと目で見て、まるごと味わえるように、食卓をつくる。
 私はそのやり方にすごく芸術味みたいなものを感じた。
料理をつくるだけじゃなくて、その見せ方まで考える。
食べ物をただお腹に入れるだけものにしないというか。それって今の食の問題の根本のところにだいぶ繋がっている話なのかもって思いました。

 今年の夏は食卓をつくりに戦時下のウクライナに行かれたそう。
 道でバイオリンを演奏していた若者の話。
「これ聞きながらめちゃくちゃ泣いちゃいましたね。」と話してくれた。
「彼個人の音楽」っていう言葉が耳に残った。
デモに行って思いを表すって大切なことだと思ってて、でも何かわかりやすい意志を持たないものも人を同じように揺さぶる力があるのかもな。
 ニュースで見ることができるのは大きな範囲での話で、そこに実際に存在する人のことは分からない。
 戦争にいける年齢の男性は国を捨てない限り、国から出られない。
 戦争に賛成ではないけれど、国は好きだから捨てられない。
その葛藤に苦しんでいる人たちに会った。
そんな生きるか死ぬかのところで日々を過ごしていて、どこまで侵攻されたら国を離れるのか、そうやって毎日頭を使っている。そんなウクライナの人たちは表情がキリッとしていたという。そしていざ東京に戻ってきて、道行く人々の表情が枯れているように見えたそうです。その感想にすごく驚きを覚えました。日本はこれだけたくさんの物に溢れていて、平和が保たれていて、治安が良くて、満たされた環境だと勝手に思っていました。
 お話聞いていると、その満たされた環境がその表情を作り出しているのでは?と思い始めて。まだまだだって、ずっと成長することを求められている。毎日満員電車に揺られて、会社や学校に行って、疲れ切って帰ってくる、そんな毎日のなかで、今の政治っておかしいとか世界でこんなこと起きているんだ、変えたい、どうにかしたいみたいな熱が小さくなっていったのかもしれないなと思いました。
 ただ、これだって勝手に想像しているだけで、ただの仮説で本当のところは分からない。確かにそういうことを話す機会も少なくて、日本のことなのに全然知らないよなって痛感しました。

最後に。
ルアさんが「ネットで検索することって実は自分の中から一歩も出ていない」って仰っていて、そんなの分かってるって思う自分と、それでもスマホで調べるだけで理解した気になってしまう自分がいるのをもう一回感じました。
 よく戦地に行った人とかの話で、悲惨な光景なんだけど、そこで暮らす人たちは明るくて、強くて、全然かわいそうな人達じゃないってよく聞くんですけど、それが自分には理解しがたくて。
それもそういう話なんだろうなって思います。



ありがとうございました。


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