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YOUは何しに学習センターへ? #27高荷洸星

こんにちは!東京大学文学部3年の高荷洸星です。9月に3週間だけ、学習センターでインターンをさせてもらっています!

東大には「体験活動プログラム」という、夏休みに学外へボランティアやインターン活動ができる様々なプログラムがあります。その中で海士町の高校で教育ボランティアをする企画をみて、初めて学習センターについて知りました。離島という、自分にはイレギュラーな土地にはどんな人がいるんだろう。彼らと出会ったその時、私はどんな自分と出会い直すことになるんだろう。そんなワクワクした気持ちで応募することを決めました。

「Youは何しに学習センターへ?」この問いに簡潔に答えるのなら、自分自身の世界に対する見方を更新しにきた、と言えると思います。教育とは、教える側と教わる側の絶えざる関係性の変容でもあります。どこで教えるのか、誰に教えるのかによって、私自身の見方・考え方が少しずつ変容していくのが本当に面白いところです。ここ、隠岐島前海士町は私がこれまで過ごしてきた環境とはまるで異なります。私は今の自分とできるだけ遠い地へ赴きたい。そこで思考し、自分の価値観を根こそぎぶち壊して、世界観を更新したい。そのために、私はこの学習センターへきました。

なぜこの地へ来たのかについて、自分なりにふたつの方向からまとめてみました。結果的にわかりにくい文章になってしまいましたが、良かったら目を通していただけたら幸いです。3週間よろしくお願いします!

擬似ノマド

ミナモに足をついて、波紋があなたのもとへ辿り着く頃には、わたしは次の島へと向かっている。
その土地にいくばくかの痕跡を残して、されど私には布石が大きく残りすぎないように気を遣いながら、転々と。

8月にはイギリス、シェフィールドに短期留学をした。東京に戻ってきたあと、熱海、鳥取県用瀬を経由して隠岐島前海士町へ。定住地を持たずノマドのように過ごしてきた2024年、夏。だが、シェフィールドだって海士町だって大学のプログラムに3ヶ月以上前から応募して参加計画を立てていたわけで、それを純な放浪としてのノマドと呼んで良いものだろうか。もっとも、純な放浪など存在するのか私には分からないのだが。
計画されたノマド。だから、擬似ノマド。私はただよっていたかったのだと思う。肌感覚を鈍らせて、一度自分の輪郭をあやふやにする必要があった。

思えば、私がこの生活を選んだのは東京との縁を一度断ち切るためだった。少し遠回りになるが、その背景を説明してみたいと思う。
夏休みに入るまで、私は総合型選抜の大学受験塾でアルバイトをしていた。生徒と研究テーマについて議論したり、これまでのことについて対話をしたり、集団授業では小論文を教えたり。教えることが楽しくて、教えている自分が好きで、いつも今日の授業はどうしようかとばかり考えていた。個別授業はいつも大延長していたので、実質時給は本来の時給の1/2とか1/3とかになってしまっていたと思う。
そんなに頑張れたのは、恩師の先生みたいになりたいと思ったからだ。先生は型破りな授業スタイルで有名だったが、並外れた知識と溢れんばかりのエネルギーで生徒たちにいつも何かを伝えようとしていた。それは先生なりの、ひとつの世界についての真理であった。ここでは詳しく書かないけれど、生徒の前で涙を流しながら自分の弱さを語る大人を、世界の美しさを信じる意志を持った大人を、私はみた事がない。まるでその人の人間性の全体性がぱちぱちと火花を散らすような瞬間が、そこには生起していた。
私に東大受験を勧めたのもその恩師だった。「誰かに与えることのできる人間になりなさい。人は他者を愛すことによってこそ幸せになれる。」そんなことを良く言っていたが、私が大学に入ったひとつの大きな意味は、そんな人になるための知を得ることなのかもしれない。でもそれって本当に難しい。エーリッヒ・フロムがいうように、誰かを愛することは単なる情念の問題ではなく弛まぬ努力に基づいた技術によって可能になるものだから。
カッコ良い言葉を並べすぎてしまったが、塾アルバイトで私が模索していた教育の形というのは、先生がやっていたような、ひとつの真理と信念に裏付けられたものだと言える。ただ、この理想は私にはまだまだ高すぎて、実力不足を補うために私はあまりに自分の時間を塾に費やしすぎてしまった。もちろんそれは無駄ではなかったし、生徒とは本当にかけがえのない関係を築くことができた。エネルギーを与えてもらっていたのはむしろ自分の方なんじゃないかと気付かされるくらいに。
だけど、少し疲れてしまった。やればやるほど学びがある一方で自分の実力の限界を実感するし、自分が身を投じるほど最後まで生徒を送り出さなければならないという責任も増す。自分がこの世界に没頭するほど、実は視野が狭くなっているんじゃないかという恐怖もあった。私はもっと勉強しなくちゃいけないし、もっと色んな世界に触れないといけないし、世界の真理とは何たるかについてじっくり考えてみないといけない。だから、私は自分を規定していたあらゆる文脈から自分自身を物理的に隔絶して、放浪してみることにした。

「真に与えることのできる人間とは、自分自身にも与えていられる余裕のある人間なのだ。」今はこんなことを思っている。要はバランスってことなのかもしれないが、もう少し自分のために生きてみても良いと思ったのかもしれない。自分のために生きるって、簡単なようでいて難しい。狭苦しい蛹を飛び出した蝶が結局は蛹の形に自分の飛翔の仕方が規定されているのと同じように、中高一貫男子校を拒絶し続けた私もまたその檻の構造にどうしようもなく立脚した自我を抱えている。どんな風に生きたって良いんだよと無造作に投げ出してくるこのリベラルな現代社会で、私は今日も「自分のため」のやり方を模索しようとしている。のかもしれない。

もうすぐ私は、東京へ戻る。
この擬似的な放浪生活はもうすぐ終わる。ただようことが許されなくなって、なすべきことや求められることたちが私に侵食してくる様子を受け入れなくてはならない。きっとまた身体が強張って、逃避的な生活を送るようになってしまうかもしれない。でもきっと大丈夫だ。ここでの記憶は身体に残り続けるし、世界は広いんだと知っておけばもう、絶望する必要もない。
そしてまた、次の島へと向かっていける。

衛星

他者に与えるという行為は、そっくりそのまま当の他者にとって助けになるとは限らないし、それによって自分が感謝されるとも報われるとも限らない。では、教育とは何のためにありうるのか。少なくとも私にとっての教育の意味とは何なのか。
高尚な夢を持てと説くのも、他者のために生きなさいと説くのも、何かを成し遂げる人間にならなくても良いんだよと伝えるのも、幸せな人生を送って欲しいと願うのも、
何もかもひとつの思想でしかない。数あるうちの単なるひとつの思想でしかないし、それらはある時には容易に相対化されうるんだろう。教育とは大前提として、行為や意志を生産させる主体化の場であるし、権力の作用から逃れることはできない。
でも私が見たいのは、思想そのものではなくもっと実際なのだ。ある人が思想を述べるとき、なぜその価値を大切にしているのか、その人にとってそれはどんな意味を持っているのか、それを実現するためにどうもがいているのか。それはその人が生きてきた全人生に対するその人なりの切実さだと、私は思う。そこに顕現する切実さを、いったい誰が否定できようか。例えば自分の経験から都合の悪い記憶を引っ張り出す程度の形で。でもその思想を否定したくなってしまう身体感覚にのしかかった人生にもまた、相応の切実さが隠れていたりする。それらの切実さに、如何に理解を示すことができるのか。
だから、教育に答えなんてない。というのが私のスタンスで、教育者として人生を歩んでいこうとは必ずしも思っていない自分にとって、教育とは「他者の切実さに寄り添うこと」もっと言えば、「人間性の全体性と全体性の邂逅」の契機なのだと思う。それについて全身体をもって思考することが今の私にとって必要だから、私はここにいるのだろう。

「…与えたのと同じものが返ってこなくていいとか
少し離れてその人に関わっていたいとか
衛星ってのはそんな感じだ」                『異国日記』より

返ってこなくてもいい。でもその人に関わっていたい。伝わらないかもしれない。でもどうにか届けたい。でもそれは「そっくりそのまま」じゃなくてもいい。

新しい人と関わるたび、小さい火傷を負ってしまう。それは仕方のないことだ。癒し方を学べば良い。「それでも、それでも」っていうのが大事なのだ。私も単なる一つの思想でしかない。それを星に例えるなら、私は一つ一つの惑星の温度や地表面に触れてみたいし、星々が織りなす星座を見れるようになりたい。そのための一つの過程として、ここはうってつけだ。それができれば、以前よりも少しだけ自由になっているかもしれない。
たった3週間だけれども、私なりのペースになってしまうかもしれないけれど、「それでも、それでも」。

さいごに

以上、わかりにくい文章を長々と書いてしまい失礼しました。このような乱雑な文章を掲載させてもらえることに、学習センターの寛容さとリスペクトを感じます。最後まで読んでいただきありがとうございました。


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