愛のカタチ

(これは鈴木の勝手な思いです。自己と会社の公私混合はよくない。けど、小さすぎる自営業ってあらゆるシステムがまだないのでそこまでは完全に分けられるものではなく。創り上げる過程では自分の在り方が会社の在り方に影響をしていくからして。まあ、会社のnoteだけどこの自分の内面での試行錯誤もきっと会社の風土のなにか、を作るものとして。現在地としてここに書くのもまあいいか、と思って書きました。きっと、今後こうではない形に変わっていったとき。それはかなりの成長となり嬉しいなと思うので。現在地投稿は背伸びせず構えずやってみようかなと思って書いてみます)

昨日ラジオで今井美樹がかかっていて
いい歌だなって思いました。

自己犠牲的な岡村孝子的愛でもなく
メンヘラ的な大黒摩季愛でもなく
純粋的?な渡辺美里愛でもなく
(それぞれにスキです)

今井美樹のうたは自分のことも相手のことも完全に大事にしている愛を歌っているなって気がしました。
(有名どころ二つくらいだけを歌詞もこんなんだったよね、と想像して単にイメージで言ってます)


至福で満ち足りていて心が満たされていてそこから広がるものってほんとにあたたかいでしょう、、、
自分がそういうものを発していたら、人にも伝わってそれがまた自分にも帰って来てあたたかいものが循環するでしょうって
思いました。

でも、どれを選ぶかってただの好き好き。今井美樹いいっていったけど、大黒摩季だってめちゃくちゃいい、ワカル(笑)

「おんなのこの性格って相手次第で変わる」の岡村孝子的に
(だよね、とも思ったり、そんなん嫌じゃ。って思っていた時期もありますけど)

あるときは、こんな感じ。またあるときはこんな感じって
自分を楽しめたら
こんな面白い遊びはないなと思います。

自分のキャラクターを固定化する必要ないし
相手次第で自分のどこで付き合うかというのは
当時私が考えていたように不誠実なのでは決してなく
いま目のまえの相手に合わせて出現させているのは自分の中のどの部分か、というだけ。
逆に自分を無くして合わせてるんじゃない、嘘のないホンモノなんだなって気がしました。
(岡村孝子が「ほんとの自分何処かに無くしみじめな夜更け」ともうたうのは自分が自分でいられない、相手に合わせてそれができないのことがアルアルとして共感を生むんだと思います。大黒摩季だってそうですよね。だからそんな時には渡辺美里の純粋さを聞けなくなったりします。その時々響くものが違う。ひとつきあいも濃淡があるのは一緒ですね。)

自分の全体性を保ったまんま。
その人と重なるどの部分で付き合い、どの部分でそれを深めていくか
重なる部分で、お互いの人生の貴重な時間をどう一緒に共有するか
ということを追求したら

そりゃあ、これは岡村孝子的な世界観ではなく(恋の段階ではなく)
今井美樹的な次元(それはたぶん愛の段階)なのかな。

相手次第で変わるのは性格では決してなく
自分の中から出る部分だったら、
相手を鏡として
相手次第で変わるなって思いました。
誰一人同じ考えの人はいないから。

ほんとうの話を交換する関係性においては
自分がそれに反応して応答して自分と相手が高まる。だから面白い。

誰とでもできるわけではないけれども、
本気の付き合いはその人とのエネルギーの交換って思っています。

こういうのが『思考は現実化する』のマスターマインドってことなんかな、って思います。
『7つの習慣』のシナジーを起こす
自分の意見でもない相手の意見でもない第三の案を見つけるってことなんだろうなと思います。
(当事者研究途中です)

で、こんな投稿してると恋多き人に見えるでしょうか(笑)
みえないな、ぜんぜん見えないな。
恋についてはかわいそうなくらい少なすぎる私の過去を知っている人は、全くの誤解がないだろうけど
私の人間関係の作り方はどうも特別らしくて。
傍から見てるとなかなか面白いそうです。

なんでどうしてそうしているのかと
時々聞かれるので敢えて申し上げると。

フロムの『愛するということ』が大好きで
「愛」多き人となりたく
愛は技術であるからして実践が大事だからして
フロムの言う現代社会にみられる稀にみることしかできないと言われる愛の形について
だったら私こそはやってやろうじゃないのって(笑)
それを個人的に証明するべくなんかいろいろ、を
いろいろな人と
兄弟愛、の実践としてやっている気がしています。
そして自己愛がないと他人を真の意味で愛せないというから
フロムの言う愛に到達したくて
頑張って自己愛を深めているんだろうなと思います。

もちろんなかなかできないんだけど、その過程こそがフロムの言う『生きるということ』『よりよく生きるということ』なんだろうなって思っています。
『自由からの逃走』をしないようにしたいからこそ
自由への希求が強いっていわれるのかもしれません。

等価交換に慣れた資本主義の現代社会には稀に見る、あんまり見られない形であるっていわれるなら。
理解されなさはむしろ
誉め言葉なのかな、、、、って
都合よく考えればいいのか、、、って
書きながら思いました。

なかなかそうも思えませんが好き好んで今日も楽しく葛藤してます。



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