サラリーマンにプライド感じたらおしまい【終末京大生日記63】

 私の家は個人事業主の家系で、親戚は大体自分の店を持って商売をしていた。客商売で、私や兄弟が騒がしくしていると、「お客さんが来なくなって家がつぶれる」などとよく言っていたのを覚えている。

 そんな親の元で育った私は無事、大企業に就職した。大企業で二か月働いてみた感想は「非常につまらない」ということである。何がつまらないか具体的に記述する。まず、仕事がつまらない。今やっている仕事はアポ取りや雑用などばかりで、とても京大の大学院を出て、専門職に就職した人間がやる仕事とは思えない。二年目の先輩も同じように雑用をしており、これが2年目まで続くのなら本当に考える必要がある。上司や同期はそれらの雑用が重要であると考えているらしく、全く考えが合わない。

 これは就職するまで気が付かなかったのだが、大企業の奴らはサラリーマンであることにアイデンティティを感じているらしい。そして、彼らの目標は根回し・調整などで仕事をこなし、サラリーマンとして出世をすることである。私にはない価値観だ。

 私は大学院生の時に、「情報だけだと知識が偏る。もっと世の中のことに詳しくなりたい」と思い、趣味で世界史や政治経済の高校生向けの参考書を購入し、研究の合間に読んでいた。そこで、産業革命の成り立ちみたいな章があり、「第二次囲い込みで農場を追われた生産手段を持たない小作農が都市へ向かい労働者になり、産業革命を支えた」みたいなことが書いてあった。私はそこで、労働者とは地主や経営者などとは異なり生産手段を持たないものであると知った。もっとも、高校時代に世界史をとった人はとっくに知っていたのだろうが。

 つまり、なるべきは生産手段を持っている私の親のような個人事業主や、経営者というわけである。私の親は特に金持ちというわけではなかったが、仕事場は自分の土地で、設備もあり、ちゃんと生産手段を持ち合わせていた。

 「サラリーマンとして上を目指す」という価値観に最も欠けていることはやはり、自分がリーダーになる観点ではないか。私の上司はさらにその上司にへこへ越しており、「役員の○○さんは・・」などといったことをいつも言っている。(すごくかっこ悪い)

 そういう意味で、私の最終的に目指すところは個人事業主や経営者なのだろう。さっさとおさらばしなければ。

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