受験生時代の話でもしようかな2【終末京大生日記65】

 確か、合格発表の前に高校の卒業式があった。私は行かなかった。もともと、最後のほうは学校も休みがちになっていた。いま、調査書を開くと高3の時の出席しなければならない日数は全部で185日あったが、そのうち34日を欠席していた。噂では20%以上欠席がかさむと留年するといわれていたため、私はそのぎりぎりを狙って高校を休み続けた。なぜなら、高校は決まったカリキュラムを集団授業で行うが、私はそのやり方が好きではなかったからだ。

 私は変なところが頑固だったので、「今まで休み続けた学校に、最後に行ってしまっては筋が通らない」と考えた。また、シンプルに、「多分京大落ちたから卒業式行きたくない」という思いもあり、卒業式欠席に至った。

 しかし、何故か親は私が出席していない卒業式に行ったらしい。学生時代からの友人でありママ友でもある人物と話をしに行ったようだが、どんな気分だったのだろうか。幸い、私の高校では卒業式で卒業生の名前を一人ずつ呼んだり、一人ずつ卒業証書を受け取ったりする風潮はなかったため、最悪の場合よりも恥をかかずに済んだだろう。申し訳ないとはもちろん思ったが、卒業式に出席するか否かは私の自由だとも思っているため、親不孝をさせてもらった。

 卒業式では、同級生の私と同じ部活に所属する主席だったものが答辞を読んでいたらしい。(ちなみに彼はそのまま東京大学に進学した。)

 卒業式の後、中学時代からの同級生が私と家が近いからという理由で、部活の後輩が書いてくれた寄せ書きの色紙を持ってきた。私は楽しく読む気にはなれなかった。学校を欠席すると当然後輩との思い出も薄い。

 そして、数日が立ち京大の合格発表があった。私は合格していなかった。「奇跡は起きないか~」なんて思ったが、私にとってはむしろここからが本番だった。京大は無謀だったが、後期北大はワンチャンあるかもと思い、私は北大情エレの合格をつかむべく、すぐに小松空港から羽田経由で新千歳に向かった。

 新千歳空港には初音ミクの雪バージョンである雪ミクがいたが、私には雪ミクをゆっくり見る余裕はなかった。京都に行った翌月に北海道に行ける私は別の状況では大変な幸せ者かもしれないが、全く楽しめない。新千歳空港なんて見るところが多く、大人になった今でも旅行したいくらいだが、私は京大に落ちちゃったショックで目の焦点が合っていなかった。

 北海道大学には幼稚園の年長さんぐらいの子供が二人、積まれた雪の山でそりを楽しんでいた。ここでのキャンパスライフも悪くはない。

 会場には全然人がいなかった。200人は入りそうな大教室に2, 30人くらいしかいなかった。試験会場には高校の同級生がいた。彼から話しかけてくれたが、ここで私に話しかけるということは、彼が大学に落ちてしまったことが私にばれてしまうため、勇気のいる決断だっただろう。「全然いないな~みんな前期で受かったのかもな~」などと言いつつ試験時間がくる。

試験は数学と物理。数学は全然解けず、物理は簡単だった。あるいはワンチャンあるか?と思ったが、結局合格できなかった。

 私は受けた大学2校の両方に落ちるという、いわゆる全落ちを成し遂げ、目の前が真っ暗になった。


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