ボーイズビーポリティカル【終末京大生日記58】

 さっきたまたまテレビをつけると"映像の世紀~バタフライエフェクト~"がやっていた。NHKの映像の世紀シリーズが私は昔から大好きで、大学生のころなんかは、吉田南図書館の視聴覚室で、夏休みの一月をかけて映像の世紀のDVDをすべて見たほどだった。

 ここで、映像の世紀を知らない人のために軽く解説をする。19世紀の末に開発された、映像技術により、20世紀はあらゆる日常や歴史的事件が映像によって記録されるようになる”映像の世紀”となった!そんな20世紀の歴史を当時の映像とともに振り返ろう!的な番組である。

 ポップな感じに説明を書いたが、実際はかなりハードなドキュメンタリーで、例えば無印版の映像の世紀では、第二次世界大戦時のドイツの収容所にある死体の山のシーンや、ベトナム戦争で大使館を占領していたベトコンの頭をピストルで撃つシーンがあったりする。あのシーンはかなり衝撃的なので、この文章を書いている今も鮮明に思い出せる。

 無印版の映像の世紀は主に国対国の構図の物語が多く、国家間の戦争の話題が多かったと記憶しているが、バタフライエフェクト版では、ミュージシャンやアーティストなど個人に注目することが多くなり面白くなくなったと個人的に感じていた。しかし、ハードな内容は健在らしく、この前の"Strange Fruit"とアメリカの黒人差別の回では、焼死体が木につるされている写真が放送されており衝撃的だった。令和の大クレーム時代にこの内容を放送してくれるのは私にとってはありがたい。

 さて、映像の世紀の説明もあらかた終わったということで、今夜放送された回の感想を書こうと思う。私は残念ながら、最後の20分しか見ることができなかったが、今回は当たり回だったと思う。今回は安保闘争の回で、東大の安田講堂事件や、あさま山荘事件を扱っていた。京大でもよく、中核派が正門前でメガホンを使って演説をしていたため、私にとってもちょっとだけ身近な回だったと思う。

 連載57回目にして、私の政治的な考えを書き連ねていこうと思う。よく、「政治と宗教の話はするな」なんていう人もいるが、私はそうは思わないし、そう思っている人がいることを私は残念に思う。政治を語るなというのは支配者に好きにしていいということとほぼ同じ意味だと思う。私が京都大学に入ってよかったと思う理由の一つに、政治的な話や、日本の将来の話をまじめに語ってもだれも私のことをやばい奴認定しなかったことだ。特に、文学部で社会学を研究していた友達なんかは私の考えをよく聞いてくれてうれしかった。京都大学での彼との討論は私の人生にとって大きな糧になったと思う。

 私は、もっと若者は政治的になったほうがいいと思う。そして、その”政治的”という文脈は過去の学生運動とは異なるものを指す。過去(あるいは現在)の学生運動は、共産主義や革命という言葉なしには語れないほど、それらと深く結びついていた。学生運動の中心にはいつも彼らがいたし、政府や世界を批判するときには、しばしば一緒に彼らの主張もあった。

 そして、今日の映像の世紀でもあった通り、学生運動はあさま山荘事件の仲間内でのリンチ事件などをきっかけに勢力を失った。私は以上の流れから、現在の学生運動のイメージは、それを率いた新左翼と、あさま山荘事件をはじめとする暴力的イメージに強く結びついていると考える。

 これは私が京大にいた時から考えていたことだが、学生運動とは定義上、必ずしも共産主義と結びつく必要はないはずで、現在の権力を批判することは共産主義を提示することにもならないと考える。つまり、もっといろんな思想があっていいはずなのである。私はよく、友人と政治の話をしたが、その中では政府の方針を批判したり、具体的にここを直したらいいなどという話をした。友人が、「円安により、国民の負担が増えている」といえば、私は「円安により工場を日本に引き戻せばまた景気が良くなる」などと主張し、対立することを恐れず政治的な考えを披露する場所が京大にはあった。

 つまり、私が求める理想的な政治環境とは、各々が自由に政治について発言でき、そのせいで「あいつヤバイ」と言われないことである。自民党に投票しなかったからと言って職場や近所で干されない自由な環境が欲しい。

 そして、非常に残念なことであるが、私の就職先にはその環境が全くないのである。一人、政治的な話を気持ちよく話せる同期がいたが、彼も残念ながら東京以外の配属になってしまった・・・。

 今、若者が選挙に行かないなどと言われているが、そりゃそうだろと私は思う。だってつまらないんだもん。話し合って、意見をぶつけ合って、その先に自分の信じた思想に投票するのが本来あるべき姿なのに、「政治の話を人前でするな」などという馬鹿な発言のせいで、意見を深めたり、日本の将来について語り合うこともなく、なんとなく現職に投票する選挙なんて意味がない。

 私は欲しい。自由に政治を語る場が。自由に政治を語る友人が。自由に政治を語る若者のコミュニティが。

 もしこれを読んだ人で、政治に興味がある人はコメント欄で書き込んでほしい。テーマは東京都知事選にでもしておこう。私は福祉によって東京に人を集中させる小池都知事の政策に反対であるため、もっと地方に人を分散させそうな思想の人に投票したい。反対意見でもいいのでぜひ語り合おう。具体的な政策に対する発言ではなく、単なる思想の押し付けはNGだよ。

P.S.
politicalという単語は、SVCのCには使えないみたいだが、Boys be political. の響きが好きだったため、このタイトルに決めた。

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