蒲田健の収録後記:柴田元幸さん

「声」が良い作品

柴田元幸さんの新訳による「ハックルベリー・フィンの冒けん」。

ヘミングウェイをして“今日のアメリカ文学はすべてこの作品から出ている”と

言わしめる、マークトウェインの不朽の名作。

その大きな特徴は、自然児ハック自身が書いているかのような、

語っているかのような、一人称の口語体。正規の学校教育を受けていない

ハックのそれは、つづり間違いだったり、事実誤認だったり、とにかく破綻に

あふれている。しかしながら、そういったことがむしろハック自身が

そこにいるかのような世界を作り上げることに大きく関与している。


さてそのような世界が原文で描かれている場合、では翻訳をするときは

どうしたらよいのか。間違った日本語のつづりは、単なる誤植として

片づけられかねない。柴田さんが採用した工夫の一つは、難しい漢字は

ひらがなにしてみる、ということ。タイトルにもそれはあらわれる。

「冒」はギリギリ書けるかもしれない。「険」はちょっと厳しいかも。

といった具合だ。


そのような工夫が凝らされた結果、日本語でもハックはハックらしさを

保ったまま生き生きと躍動する。

物語の奥底には、良心とはなにか、愛とはなにか、という人間の根源的な問いが

埋め込まれている。だが本質的に照れ屋なのだろうトウェインは正面切って声高に

それを主張することはしない。ちょっと斜めから、「なんちゃって」という

スタンスでにおわせるのだ。楽しい物語を読み終えて、“そういえば”と

あとでじんわり気づいてくる。


優れた作品はかくも意味深長なのである。


「ジムがいて ハックがいる上 トムもいる

         そのおも白さ かけねなしだぜ」

P.S.原作者と読者の間の橋渡し役を、読者側に立って伝える究極の職人である

柴田さん。ものすごい人なのに決して偉ぶらないそのお人柄も、本当に魅力的です。


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