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「ほめてはいけない」よりも見下さない【アドラー心理学とは何か"臨床心理学と自己啓発を整理する"#6】

 「ほめてはいけない」アドラー心理学のパワーワードとして広まっています。子どもを褒めたらダメというのは、かなり衝撃的です。
 では、厳しくするのか、いえ、叱るのもダメです。どうすればいいのか、勇気づけてください。…とまあ表層だけ見ると意味不明な話になるので、詳しく見ていきましょう。その上で、アドラー心理学の考え方は参考になる部分もあるけど「ほめてもいい」という個人の見解を示します。


1.「ほめ」への依存

 なぜ、ほめてはいけないのか。アドラーは、ほめることで子どもは大人からほめられることだけを求めるようになってしまう、ほめられることに依存して主体性を失い、ほめられなければ不満を呈するようになってしまうと捉えました。劣等コンプレックスのかまってちゃんモードに至る、ということです。

Individual Psychology has tried to show that the influence of the environment is always perceptible in every mistake made by a child; for example, a disorderly child is always in the shadow of a person who puts his things in order; a child who lies is always under the influence of a domineering adult who wants to cure the child of lying by harsh means. We can even detect traces of the environment in a child’s boasting. Such a child usually feels that praise is a necessity, and not the successful accomplishment of any given task; and in his striving for superiority he is constantly seeking to evoke laudatory comments from the members of his family.
個人心理学は、子どもが犯すあらゆる間違いには環境の影響が常に見えることを示そうと試みてきた。例えば、乱雑な子は、常に身の回りのことをきちんとしている人の影にいる。嘘をつく子は、常に子どもの嘘を厳しく罰する支配的な大人の影響下にある。子どもの自慢話からも環境の痕跡を見つけることもできる。そのような子どもは通常、必要なのは褒められることであり、与えられた課題をうまく達成することではないと感じている。そして、優位性を追求する中で、常に家族から賞賛の言葉を呼び起こそうと努めている。

出典:A.Adler(1930)pp.126-127(文献①)、訳筆者

 ほめることは強烈な動機づけになるからこそ、それだけを考えるようになってはいけない、ということです。叱って無理やり引っ張るのも、全然主体的じゃないので当然ダメです。
 ではどうすればよいのでしょうか。

2.ほめ"praise"と勇気づけ"encouragement"、アイ・メッセージ

 アドラー心理学では、ほめる(praise)より勇気づけ(encouragement)と言われます。
 ほめるは「良い子」「お利口さん」など他と比べた評価です。その裏にはどんな子が良い/どんな子が悪いという物差があります。ある物差でみて、評価に値する水準に達しているから、条件を満たしたからほめるのは、純粋に相手の存在を承認しているわけではありません。子どもは良い子から外れることを恐れますが、ほめの物差は主観的でよくわからないから余計不安になります(テストで80点とれば良い子とかいう話ではありませんから)。100点取ったのに親が喜んでくれなかった、なんて話は多々ありますね。
 一方、勇気づけは条件を満たしたからではなく、上から下へのほうびでもない、相手への共感的な言葉です(文献② p.39)。「えらい」「おりこうさん」ではなく「ありがとう」「助かった」「うれしい」。
 これらは基本的に話し手主体の言葉です。アイ・メッセージ(I messase)と言われ、この用語はゴードン(Thomas Gordon 1918-2002)が60年代から子育てトレーニングプログラムで用いたもの(文献③)ですが、近年はアドラー心理学の説明でも用いられます(文献④、⑤など)。固定的なようで全然人や状況によって違う他律的な基準に比べて、自分がこう思ったことは紛れもない事実、より誠実な言葉な気がします。 
 反対の「あなたは○○だ」がユー・メッセージですが、こちらは相手の認識とズレた時、自分のことを決めつけられたと感じ「それは違う」と反論したくなります。勝手に決めることは、相手を尊重していないともいえるわけですね。
 ユー・メッセージをアイ・メッセージにすることは有効な勇気づけの手段…なのですが、注意も必要です。相手を縛るため、思い通りにするために私主体の言葉を使っては意味がありません。「頑張れなかったのね、お母さん悲しいな」「その道に進むのはいいとは思わないな、お前ならよい選択をしてくれるとお父さんは信じてるぞ」。これは勇気づけではありません。叱るより条件でほめるより効果的だからこそ、支配的に用いるとより悪影響があります(※)。
 ちなみに、アドラーは勇気や勇気づけの大切さは述べていましたが、praiseとencouragementの区別まではしていません。

Individual Psychologists do not believe that either severe or mild methods should be used in rearing children. What is necessary is understanding, avoidance of mistakes and constant encouragement of the child to face and solve his problems and develop social feeling.
個人心理学者は、子育てにおいて厳しい方法も穏やかな方法も使用すべきとは信じていない。必要なことは、子どもが自分の問題に立ち向かい解決して社会的感情を成長するために、理解すること、過ちを回避すること、子どもを勇気づけることだ。

出典:A.Adler(1930) pp.126-127(文献①)、訳筆者

 アドラーを基にpraiseとencouragementの区別を明示したのは80年代からある”Positive discipline”という教育プログラムです(文献⑥)。
 このシリーズを書いていて、考えが育児教育メソッド経由なものをよく目にするなあと思いました。アドラー心理学は、その経緯からもハウツー本やセミナーと親和性が高いのかもしれません。そもそも教育は確固たる方法論がない分野であり、義務教育は全ての人に課されるので疑問を抱きやすい分野でもあります。
 いずれにせよ、特定のものを極端に信じると色々なものを捨ててしまう気はします。極端な信奉も忌避もせず、冷静に見ていきましょう。

3.全ての人間は対等、叱り方

 「ほめてはいけない」の根幹は、全ての人間は対等という大原則にあります。老若男女、生まれや職業、所有する財産などに関わらず、全ての人間に優劣や上下はなく対等です。支配される関係ではありません。
 例えば、職場の上司―部下は、会社との契約関係で割り当てられた役割はあれど人としては対等です。頼れる先輩というのは個人の話、この先輩の経験に裏打ちされた考え方は参考になるって人もいれば、そうでない人もいる。後輩がそんな経験を持っている場合もあるでしょう。年齢や役職が上だからといって、威張っていたら関係はうまくいきません。
 子どもと大人はどうでしょうか。保護者は子どもを見守り援助する責任はありますが、当然奴隷や附属物として扱ってはいけません。子どもは自身や周囲を危険から守るため、社会から一部の権利を制限されていますが、大人と同じく尊重される一個人です。車の運転は出来ず酒は飲めませんが、人としての価値に変わりはありません。
 全ての人は、支配者と被支配者という縦の関係(vertical relationship)ではなく、対等な横の関係(horizontal relationship)であるべきです。『嫌われる勇気』では勇気づけを「横の関係に基づく援助」(文献⑦ p.202)とし、ほめるを縦の関係と見なしています。
 褒め言葉をならべてみます。「よくやった」「えらい」「上手」「頭いい」確かに逆にした時、子どもから大人へだと言いづらいかもしれません。
 先述したように、ほめに依存させないようには注意すべきですが、「1つもほめてはいけない」と過敏にならなくてもいいと思います。

 それより、叱る理由に権威を使う、これは明確にダメと言えます。「上司の/先輩の/親の/先生のいうことが聞けないのか」上から目線の態度や言葉は関係を悪化させます。相手の行動を改善したいと思っていても方法が最悪です。その行動はこの理由でよくない、と行動自体に焦点を当てるべき所を、立場性を利用して物事の説明を省いて楽をしています。結果、「こいつの前だけ言うこと聞いときゃいい」となり、行動や価値観は変わりません。自分が上の立場になりさえすれば、無条件で言うことを聞かせられる、という誤った学習もしてしまいます。

4.「ほめてはいけない」というフレーズの危険性

 また、完全には「褒める=praise」と言えない点も注意が必要です。確かに、辞書によっては「ほめる」は目下の人に用いると明記している場合もあります。しかし、広義的には他者への評価全般をほめるとも言えます。

1「褒める」は、行為や行動を良いものであると述べる意。目下に対して用いる。
2「たたえる」は、相手の努力、業績、貢献がすばらしいものであると述べる意。

出典:小学館辞典編集部『使い方の分かる 類語例解辞典 新装版』小学館、2003年

ほめる【褒める/誉める】
人のしたこと・行いをすぐれていると評価して、そのことを言う。たたえる。

出典:デジタル大辞泉

 「お片付けしてくれてありがとう、助かった。」これは勇気づけですが、ほめるからも完全に除外できないと思います。「ほめてはいけない」というフレーズは、勇気づけもためらってしまう恐れがあります。
 ほめると勇気づけるがキレイに区分できるかと言われると、重なりもあるでしょう。例えば「ナイス」「うまい」「すごい」、これらの言葉はすごい/すごくないの物差があるユー・メッセージといえるのですが、感動から出てくる時もあります。

 キャッチーなフレーズ「ほめてはいけない」は悪影響が大きいと考えます。大人が委縮した結果、子どもが肯定的評価を完全に受けず、他の人間への不信、ひいては絶望に陥ってしまうなら、他との比較でも肯定的評価を受けた方が圧倒的に良いです。
 もちろん、相手がほめに依存せず主体的に動けるように、支配しないようにしたり、言い過ぎに気をつけたり、アイ・メッセージにしたり、今回の内容で参考になる部分は多々あると思います。互いに劣等コンプレックスに陥らないよう、全ての人を尊重したいですね。
 あえてワンフレーズ化するなら「お利口さんと言わず、ありがとうと言おう」。これでも表現できてない部分は色々ありますが、「ほめてはいけない」よりは今回の内容を伝えられているのではないでしょうか。

(次回へ続く)

【注釈】

※ 鎌田(1999)は「勇気づけ」「私メッセージ」を利用して、子どもの行動を親の好みにあった方向にコントロールしようとすることを「言葉がけによる巧妙な支配」と称している(文献⑧ p.43)。 

【参考文献】

①A. Adler "The education of children" Regnery,1930
②岩井俊憲『勇気づけの心理学』金子書房、2002年
③Thomas Gordon "P.E.T. Parent Effectiveness Training : The Tested New Way to Raise Responsible Children" David McKay, 1970
④小倉広『アルフレッド・アドラー 人生に革命が起きる100の言葉』ダイヤモンド社、2014年
⑤佐原美和・岩井俊憲『片づける勇気 ~アドラー心理学でココロも部屋もスッキリ!~』KKベストセラーズ、2015年
⑥ J. Nelsen & L. Lott "Teaching Parenting the Positive Discipline Way" Empowering People, 2017
⑦岸見一郎・古賀史健『嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え』ダイヤモンド社、2013年
⑧鎌田穣「アドラー心理学の『誤解』と『誤用』」『アドレリアン』26、pp.39-48、1998年

★アドラー心理学とは何か"臨床心理学と自己啓発を整理する" 一覧はこちら

<前回>#5「課題の分離」責任・主体は誰か
 https://note.com/gakumarui/n/ncbcf693f2a96
<次回>#7 共同体感覚:他者貢献と感謝の循環
 https://note.com/gakumarui/n/n738695db8c69

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