トラウマとポリヴェーガル理論

 動物(人間)は恐怖に直面した時、多くは2つの態度をとる。
 逃げるか、闘うか。
 そのいずれの態度もとれない時、その時の恐怖が神経系に残存し、それがトラウマとなる。トラウマについては現在、さまざまな研究が進み、眼球運動による治療法なども開発されている。
 トラウマについてさまざまな書籍にあたっていると、「ポリヴェーガル」という言葉をタイトルに冠した書籍を多く目にする。ポリヴェーガル理論とは「多重迷走神経理論」のこと。「poly=多重の」+「vagal=迷走神経」が組み合わさった言葉である。
 これまで、自律神経系はいわゆる交感神経と副交感神経の2つと考えられてきた。が、この理論を提唱したステファン・ポージェス博士は、哺乳類の「副交感神経」にはさらに2つの神経系──「背側迷走神経複合体」と「腹側迷走神経複合体」──があるという。
この理論は神経系の生理学的状態に基づき、問題行動や精神障害、トラウマやPTSD、さらには発達障害などの発現メカニズムに対して、新たな解釈と治療の方針を拓いたとされる。
 
 ところで──。
 今年8月に亡くなった精神科医の中井久夫氏は、ご自身が訳された書籍の「訳者あとがき」で次のように書かれていた。

「世界中で起こっている虐殺や暴力や飢えや悲惨を思う時、また世界の街や村や学園や家庭で荒々しくあるいはひっそりと密かに起こっている残虐の暗数のおびたただしいであろうことを思う時、そこから日々生まれているであろう心的外傷(=トラウマ)の質と量との巨大さに私はめまいを起こさないではおれない」(ジュディス・L・ハーマン『心的外傷と回復〈増補版〉』みすず書房、中井久夫訳、1999年)

 ウクライナとロシアの戦争の結末は見えない。が、どんな戦争犯罪が行われたのか、行われているのかは、すでに明らかになりつつある。
 中井氏の言葉は、我々の現在を強く照射している。


ジュディス・L・ハーマン著、中井久夫訳、小西聖子解説『心的外傷と回復〈増補版〉』

(文責:いつ(まで)も哲学している K さん)


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