アレルギーとレジリエンス

 あるきっかけがあり、免疫の本を読みなおしていて、かなり以前に観た映画のことを思い出した。トッド・ヘインズ監督『SAFE』──。化学物質過敏症を扱った映画である。
 ロスの高級住宅地。趣味のいい家具と広い庭。辣腕のビジネスマンの夫と一人の子供、そして毎朝、枕元までミルクを運んでくれる黒人女性のヘルパーに囲まれた生活を送る主婦キャロルは突然、吐き気やめまい、パニック症状などに襲われるようになる。環境化学物質への過敏、つまりアレルギーによって都会での生活が不可能になった彼女は、化学物質のない人里離れた土地で、同じ悩みをもつ人々との共同生活に入る。
 その団体の主宰者はグルと呼ばれるHIVポジティヴのゲイ男性であり、そこではディープエコロジーがその思想の根幹の一つとなっている。
 あるミーティングでのこと、グルは皆に問いかける。
 「あなたは何故アレルギーになったのか?」
 とまどう人々にグルは続ける。
 「それはあなたがあなたを愛していないからだ」
 社会環境に由来する問題を、まるで病は気からとでも言わんばかりの自己責任に転嫁しているかに聞こえるグルの言葉。しかしラストシーンで、その言葉はキャロル自身によって全く別の実質を与えられる。
 過度に敏感になり、その地にいてさえ微量の化学物質に反応するようになった彼女は陶器製の小さな球体の部屋の中で、酸素ボンベを抱えて生活するに至る。その中の壁にかかっている一枚の細い鏡に映った自分自身に、彼女は語りかける。
 「私はあなたを愛している」
 アレルギーはもともと、免疫システムの過剰な働きによる、「他者」への不寛容に起因する。そう考えるとき、鏡を介して彼女が彼女自身に語り掛ける自己愛の言葉と情動の回路はおそらく、自己と非自己をあまりに厳格に峻別する、過敏にすぎる免疫システムを、もっと透過性の高い、柔軟なものへと練り上げていくことである。
 陋劣、猥雑、放埓でありながら美にも力にも満ちた複雑でしかありえないこの世界の中で生きられるよう、自分自身を、その皮膚を鍛えなおすこと。ヘーゲルは『自然哲学』のなかで、個体の広がりを形成する運動をも「抵抗」と呼んだはずだが、自己の界面を形成するその抵抗を組織しなおすことこそ、キャロルの実践に他ならないように感じられた。「自己組織化」をこのように解するなら、自己組織化とは心身の再生、レジリエンスを説くものでもあるのではないか。
 もう少し自在になるには? もう少し寛容になるには?
 自然科学が触発する想像力は、底なしだ。

(文責:いつ(まで)も哲学している K さん)

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