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「ストレングス・ファインダー」の落とし穴

「自分の特性を見つけよう」「強みを活かした仕事をしよう」というようなことをよく言いますよね。「ストレングス・ファインダー」でしたっけ。そんな本もありますよね(読んでないけど)。

基本的には、人それぞれ個性・長所・強み・才能を活かして生きていくことには賛成です。でもあまり早くにこの思想に染まり過ぎるのも危険だな、と思っています。なぜならこの考え方を裏返すと、「苦手なことや短所の部分でいくら努力しても、その分野がもともと好き・得意な人には叶わないのだから、無駄な努力となるのでやらない方がいい」という結論になるからです。

たとえば私はこの歳になるとさすがに自分の強みも弱みも理解しています。そして振り返れば、その強み弱みはたしかに子ども時代から傾向があったなと思います。具体的に言うと、コツコツと一人で何かをするのが好きで、それを継続し続けることは苦にならないタイプです。逆に、他人と協調して何かをすることにはあまり興味が無く、そこには喜びを感じません(はっきり言葉にすると……)。こうした特性が根っこにあることは今も昔も変わりません。

ただ、中学生の時に部活を選ぶことになり、美術部かサッカー部か迷って結局サッカー部に入部したんですよね(当時Jリーグブームだったので)。そして高校時代はラグビー部。つまり、ばりばりの体育会系で思春期を過ごしました。その中で、チームで一丸となること、厳しい上下関係、最後は根性が大事、みたいな自分の特性にはまったく合わないことばかり叩き込まれました。
そのため振り返れば、楽しいことよりも苦しいことの方が多かった気がしますが、この時期に自分の「協調性」という弱みが若干底上げされたのだと思います。

そのおかげで、今美術館で内外の人と協力して展覧会を作り上げるという学芸員の仕事が務まっている、という面がなきにしもあらずかな、と。もし、思春期を自分の特性に合わせて美術部で過ごしていたら、もっと「自分は自分、他人は他人」という思想が強化されてしまい、一匹狼をきどって社会に出てから生きづらさを感じたのではないかな、と思います。危なかった……。
まぁ、その時はその時で今とは違う人生を送っただけかもしれませんが。

何が言いたいかというと、誰もが社会に出た時に自分の長所だけを最大限に活かした働き方をできるわけではありません。それこそみんながみんな、起業してひとり社長になり自分のやりたいようにやるなら別ですが(いや、それでもクライアントに合わせる努力や苦労はあるでしょう)、多くの人は何らかの組織に所属して生きていくことになるわけで、そう考えるとパラメータを振り切るほどに強みを伸ばすというよりは、ある程度平均力を付けておくのも大事じゃないかな、と思うわけです。凡人の考え方なのは認めます。

だいたい、どうやっても強み・弱みの凹凸は自然と出てきますから、そんなに遮二無二「強みを活かさなきゃ!」と焦らなくても大丈夫だよなぁと思うんですよね。
人生の中で苦手なことをやる時期があってもきっと無駄にはならないよって話でした。

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