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§5.5 皇統は護持せられた/ 尾崎行雄『民主政治読本』

皇統は護持せられた

 天皇の大権を著しくせばめられたことをもって,天皇の権威と地位が甚だしく低下したように考えて憂慮する人が少くないようだが私はそうは思わない.もし真の立憲政治――政党政治が行われていたならば,明治憲法の下でも,天皇の実際のお仕事は,新憲法におけるそれと大同小異になったであろうと想像せられる.
 私は大正6年に『立憲勤王論』という小著を書いて,政党内閣制を確立しなければならぬ理由を力説したことがある.私の意図は,勿論,天皇の権威をけずり,地位を下すことにあったのではなく,政党内閣制を確立して内閣組織の場合,天皇が必ず多数国民の支持する政党の首領に対して,大命をお下しになることが,君意民心を完全に一致せしむる所以であって,これが皇統護持の根本要件である.万々一にも,国民がこぞって反対するような人物に内閣組織の大命をおくだしになれば,君意民心の不一致を来して,天皇の権威と地位にきずをつけるようなおそれなしとしない.皇統を万世につなぐためには,いつでも君意と民心が完全に一致するような仕組を制度として確立することが一番安全で且つたしかなやりかただ.それには政党内閣制が一番いいと信じたからである.いいかえれば,皇統を万世につながんとする,私の勤王の志を述べたのであった.世界の歴史は,国の政治の全権を握って縦横にきりまわした帝王の世代は,決して長つづきしなかったことを教えている.
 私は,イギリスの帝室を,君臨せずとも統治せず,ただ虚位を擁しているに過ぎないとみる一部の世論には反対だ.イギリス皇帝は決して虚位を擁しているのではない.今でも強い実権をもっておられると思うが,政党内閣制がうまく行われているために,岡目にはそう見えるのであろう.ヨーロッパ諸国の帝王が,つぎつぎに倒れて行く中にあって,イギリスの帝室のみがひとり繁栄をつづけてゆける主なる原因は,君意民心の不可分離を制度化した政党政治のたまものであると思う.
 そういった気持ちで『立憲勤王論』を書いたのであったが,その当時,もし私の主張する政党内閣制が確立したと仮定した場合,天皇の実際上のお仕事のはんいは,どんなものであろうと考えてみたことであるが,それは大たい今日の新憲法の規定と似たりよったりのものであった.
 だから,私は,新憲法によって天皇の権威と地位が低下したとは思わない.かえってこれでこそ,日本の皇統を万世につなぐことができると思う.その理由は,むずかしく考えるには及ばぬ.ただ一つ,もし今度の戦争において,天皇が戦争指導の全責任を問われるようなはたらきを実質的にしておられたものと仮定して,その後に来る運命を想像してみるがいい.わが皇統は,おそらく,今日あるように,安全には護持せられなかったであろう.
 神様の天皇には恐れて近づき難かったが,これからの日本人は人間らしい愛情と尊敬をもって,人間天皇に親しんで行くであろう.それで結構ではないか.


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底本
尾崎行雄『民主政治讀本』(日本評論社、1947年)(国立国会図書館デジタルコレクション:https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1438958, 2020年12月24日閲覧)

本文中には「おし」「つんぼ」「文盲」など、今日の人権意識に照らして不適切と思われる語句や表現がありますが、そのままの形で公開します。

2021年1月21日公開

誤植にお気づきの方は、ご連絡いただければ幸いです。

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