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§11.7 人格第一の議長を/ 尾崎行雄『民主政治読本』

人格第一の議長を

 総選挙後の新議会において,真っ先きに起る問題は議長選挙である.昨年の議長選挙の時,私はまだ政党の悪習に染まらない新代議士諸君に向って,日本の政治改革の手始として,多年間違って来た議長の選挙を,合理的にしようではないかとすすめてみた.多年間違って来たというのは,わが国では,多年議長に多数党から出すべきものだ――或いは,多数党は議長をとる権利があるというように考えられ,且つその通り実行して来た.しかしならが,議長は決して多数党のために議事を主宰するものではない.満場1人残らずの議員のために議長席についているのであって,もし少しでも多数党のひいきなどすれば,それだけでもう議長の資格がないことは,3歳の子供にでもわかるほど見易い道理である.しかるにわが国では,もう長いこと議長は多数党から出すものときまっている.
 党派の大小などは勿論問題ではない.能力の有無さえも二の次で,議長として一番大切な資格は,公平無私な人格である.敵をも憎まず,味方にもひいきしないのが議長の役目であるから,どうしても人格第一で選挙をしなければならぬ.ところが人格者は多数党にもあり,小数党にもあり得るのである.もし同じような人格者が両方にある場合は,イギリスでは必ず小数党の方の人格者を議長に推すのが,昔からのしきたりである.なぜなら,もし多数党からの議長だと,後ろに多数の同志があると思うと,不公平なことをしようという気はなくても,つい油断をする場合がないとはいえない.これに反し,小数党から出た議長だと,不公平なことをすれば多数から反対せられることがわかっているから一層人格をみがいて,公平の上にも公平を期するように心がける.それでこそ始めて立派に議長の職責が果せるのである.ゆえに今度の議長選挙は,ぜひとも人格本位でやるようにと熟心にすすめたのである.
 しかるに結果はやっぱり昔通りに多数党から選んだ.ところが最初の議長候補者は追放せられ,次の議長は憲法審議の途中でやめさせられた.こういう議長を推し上げた議員諸君はいい恥さらしだったと思わないであろうか.
 今度の選挙後の議長選挙は,ぜひとも人格第一の人を挙げるようにしたいものである.


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底本
尾崎行雄『民主政治讀本』(日本評論社、1947年)(国立国会図書館デジタルコレクション:https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1438958, 2020年12月24日閲覧)

本文中には「おし」「つんぼ」「文盲」など、今日の人権意識に照らして不適切と思われる語句や表現がありますが、そのままの形で公開します。

2021年4月18日公開(§12.1と公開の順番が逆になってしまいました。申し訳ございません。)

誤植にお気づきの方は、ご連絡いただければ幸いです。

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