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§4.1 愛すればこそ/ 尾崎行雄『民主政治読本』

愛すればこそ

 私はひと頃,よく友達から“なぜ日本の短所欠点ばかりあげて,英米の悪口をいわないのか”と問われた.この問に対して,私はつねに“自国は愛するが他国はあまり愛さないからだ”と答えた.
 自分の子供に対しては,小言をいうが,他人の子供には,小言をいわないのみならず,事実以上にほめることさえあるのが世のつねだ.愛すればこそ小言もいえ,愛しもしないものに,小言をいって,おこらせることもない.
 愛して,そのみにくさを知り,にくんで,そのうつくしさを知るものでなければ,ともに国家天下を語るに足らずというのが,私の平生の心意気である.
 私はこの読本においても,ぶえんりょに日本人の欠点短所を批評するつもりだが,この章では,もっぱら,日本の前途にみちみちている,あかるい希望を語るであろう.[※入力者注4.1.1]
 現在の日本はどちらを向いてもまっくらやみで,ローソクの光ほどのあかるさもない.しかし,もし大方の日本人が,この亡国の悲運を転じて,興国の門出とする意気をもって立ちなおる気になれば,われわれは,いまこそその絶好のチャンスをつかんでいることを知るであろう.
 敗けたことはいかにも残念だが,敗けたからこそで,もし敗けなかったら,とてもこんないい芽はふかないであろうと思われることが数々ある.
 何よりも,先ずうれしいことは,日本の進歩を止め,日本を世界の憎まれ子にした一番大きい障害物だった,自まん高まんのはな柱が折られたことである.
 心の貧しき者は幸なり,天国の門はその人のために開かれるからだという.うぬぼれをすて,へり下った気持になった日本人は,世界中から愛せられるようになり,やがて世界中のあらゆる門が日本人の前に開かれるであろう.


※入力者注4.1.1:「語るであろう.」は底本では「語るであろ」。
『尾崎咢堂全集 第十卷』(公論社、昭和30年9月1日發行)では「語るであらう。」。


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底本
尾崎行雄『民主政治讀本』(日本評論社、1947年)(国立国会図書館デジタルコレクション:https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1438958, 2020年12月24日閲覧)

本文中には「おし」「つんぼ」「文盲」など、今日の人権意識に照らして不適切と思われる語句や表現がありますが、そのままの形で公開します。

2021年2月5日公開

誤植にお気づきの方は、ご連絡いただければ幸いです。

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