§7.5 命令―服従―無責任/ 尾崎行雄『民主政治読本』
命令―服従―無責任
人はとかく他を責める場合はきびしく容捨しないが,自分を責めることはきわめてゆるやかになりがちである.たとえば敗戦後,トージョー内閣に盲従した議員を責めることはすこぶる急であるが,17年の選挙当時有頂天になってそういう議員に投票した自己の責任はほとんどかえりみようともしない.国民総がかりで亡国の手伝いをしたのである.こんなみやすい因果関係にさえ気がつかないのは,責任回避の習性のせいばかりでなく,なにか他に原因があるのではないだろうか.
封建政治では命令と服従があるのみで,命令に対する是非の批判は絶対に許されない.したがって封建政治の下では,批判的精神は窒息して発達しない.批判的精神は自己を尊重する心,我は奴れいにあらず,我こそ己れ自身の主人公なりとの自覚がなければ生れて来ない.多年封建政治の圧制になれて,命ただこれしたがう奴れい的習かんに養われたわが国民に批判的精神が欠けているのは当然であろう.日本人の責任回避の習性は,上からの命令や指令をうのみにした結果,養成せられたのではあるまいか.もし上からの命令や指令を批判して,なっとくづくで服従したのなら,自己の行為に対して責任を感ずるのが当然である.これに反し,絶対に批判を許さず服従を強制せられた場合は,それがどんな結果を生じようとも責任感が生じないのもまた当然であろう.
次:§7.6 ベンサムの勉強ぶり →
底本
尾崎行雄『民主政治讀本』(日本評論社、1947年)(国立国会図書館デジタルコレクション:https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1438958, 2020年12月24日閲覧)
本文中には「おし」「つんぼ」「文盲」など、今日の人権意識に照らして不適切と思われる語句や表現がありますが、そのままの形で公開します。
2021年3月10日公開
誤植にお気づきの方は、ご連絡いただければ幸いです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?