§13.1 国家という言葉の魔力/ 尾崎行雄『民主政治読本』
国家という言葉の魔力
“おお国家よ,汝の名において,いかに多くの罪悪が行われしことよ”と.これはどこかで見たか聞いたかしたような文句である.
個人間では,人を殺すことは重大犯罪であるが,国家と国家が戦争という形で,大量殺人をやっても,ただに犯罪でないのみならず,人殺しの名人に対し,国家は名誉の勲章をあたえて,これを称賛する.個人間で他人の物を盗めば,泥ぼうとして罰せられるが,国家の名において他国の領土を盗むことは,国運の発展として祝福せられる.
平生はかなり理智的な人でも,一度“国家のために”という魔法にかかるとすっかり理性をうしなって,国家のためなら善悪は問うところにあらずと喜び勇んで,実は国家の不ためになるようなまねをする.
これは日本人だけでなく,だいたい世界を通じての風潮であるようだ.イタリー統一の元勲カヴールは往事を追想して“私が国家のためだと思ってやったようなことをもし個人としてやったら,世間は私を悪漢とののしるだろう”と嘆息した.国家という言葉にはふしぎな魔力があるらしい.
それほどの魔力がある国家の正体とは一たいどんなものであろう.
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底本
尾崎行雄『民主政治讀本』(日本評論社、1947年)(国立国会図書館デジタルコレクション:https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1438958, 2020年12月24日閲覧)
本文中には「おし」「つんぼ」「文盲」など、今日の人権意識に照らして不適切と思われる語句や表現がありますが、そのままの形で公開します。
2021年4月27日公開
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