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GAKUルーツ《田故知新》 vol.9

アッという間に、7月が過ぎようとしています。
皆さん暑さに負けず、お元気ですか?

田楽座新聞から歴史を振り返るシリーズ GAKUルーツ《田故知新》vol.9は2010年代へ突入です!!
2011年2月、入場者数1000人超えの伊那公演!地元で田楽座を応援してくれている「応援するってもんずらの会」が取り組んでくれました。
その時から事務局長、そして今回の【感謝カンレキあめあられ】実行委員長!の城取和広さんと同世代のヨウスケ・ねむかの対談を発見!

2011年4月1日発行

たまり場になれる空間

城取和広さん…和/ヨウスケ…ヨ/ねむか…ね

ヨ 「当日たくさんのお客様を迎えた時の気持ちは?」
和 「正直、千人超えるとは思ってなかった。何せ最初の集計では15人(笑)。目標900人なのに。『もんずらの会』の皆さんは前回の伊那公演も関わってる人たちだもんで『大丈夫、だいじょうぶ。まだ1ヶ月以上あるから。』って。おれもそう思ってたけど。そんな中、ビビッてる人が1名(笑)。」
ね 「ビビるよ、そりゃ。」
和 「2月に入った段階で、いよいよねむかさんが「採算取れるのは750人です(泣)』って。」
ね 「900ですねー、なんて軽く言ってられなくなった。」
和 「それまでの会議のレジュメには『目標900!』って書いてあったのに、そのころから『何が何でも800人は必ず』って、目標が下方修正されてる(笑)」
ね 「議事録にも『大大ピピピピピンチです!』ってね。ピンチだってことは伝わってほしいんだけど、かたく伝えすぎるのも良くないと思って(笑)。」
和 「数字が伸び始めたのは、田楽座でもんずら会員向けに公開稽古をやってから。この後からチケットの数が、一気に上がってくる感じがした。」

自分たちが次世代に継いでいく立場

ね 「やっぱり若い人たちが元気じゃないとね。和広くんともよく話してたんだけども、自分たちより一世代下の20代前半を巻き込んで、同じ伊那市に暮らす若者同士がつながって、何か面白いことをするときに集まれる人間関係をつくっていきたい。もう私たちは、引っ張り上げていく世代になっていくってことなんだね、って。」
和 「自分も田楽座に初めて来た頃はまだ高校生。ま、見た目は今と大して変わらないけど(笑)。それからもう15年くらい経つでしょ。で、もんずら会の若手メンバーたちは10歳下。そういう点では、新しいつながりでこれから先も一緒にやっていけるんじゃないかっていう人たちが、多くできたと思うけどね。」

みんなで半世紀をお祝いしよう

和 「これから先は、今回関わってくれた人達みんなで、どういうふうに田楽座を盛り上げていくか。でも今回そういうふうにやってくれる人が大勢いると思わない?」
ね 「いると思う。」
和 「数年先の田楽座五十周年だって、みんなで半世紀をお祝いしよう、つて盛り上がり方もあっていい。その先もね。田楽座が伊那にあるってことは一年一年重なっていくからね。」
ヨ 「で、この三人が死ぬ寸前くらいに、百周年が(笑)」
ね 「百周年まで生きられるかなぁ。」
和 「今の若手メンバーはそこにいる可能性があるなぁ。」

当時の若手!まなてぃこと遊佐愛実(ゆさ まなみ)


ヨ 「公演が終わってお見送りの時にね、おじいちゃんやおばあちゃんが、『まっちゃん頑張ってるじゃない〜』って松田さんのとこに来てね。そのとき、『40年くらい前には、この人達と松田さんは、きっと今の僕たちみたいにいろんな話をしてたんだろうな』って思ったんだよね。どこかたまり場に集まってね。そんなふうに続いていったらいいなってすごく思う。」
和 「くだらない話とか、ワイワイできる人達を増やしていきたいよね。笑っていられる関係。その中に、これから先の田楽座にとって重要になる人達がいると思うもんで、その人達と一緒になって考えていきたいね。」
ね 「伊那だからこそだよね。ふらっと来れるっていうのは、地元だからこそ。」
和 「次回に向けてやっていくってのが大事になってくるし、プレッシャーにもなるけど、これからが一番おもしろくなってくると思うね。可能性がかなりある。田楽座にも若いのが増えたし、地元の人達ともっと交流ができると思うんだよね。今回ホントおもしろかったよ。」
ヨ 「そういう未来にちょっとずつ近づいていくきっかけになった公演でした、ということで無理やりまとめます(笑)。今日はありがとうございました。」

オマケ:田楽座新聞と言えば、座員の手書きの絵もたくさんありましたね~!
今日は2010年代のイラストたちをチラ見せしちゃう!

画伯YOSUKEの作品!
入座3年目くらいのいっちゃんこと相楽逸枝作!

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