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ジュラシックパークとジョーズとナウシカ または「想像力は映像を超えるか?」③

高校生のころ。「そういえばナウシカって、マンガ版があったよな~」と思い付き、本屋で買ってきた。

その衝撃たるや。

「風の谷のナウシカ」がいかに素晴らしい作品か、はさておき、今回語りたいのは、宮崎駿のマンガの描写力である。

特に凄まじいのは第4巻の騎兵戦。
クシャナ(「薙ぎ払え!」のお姉さん)が籠城して壊滅寸前のトルメキア騎兵を率い、城を包囲する土鬼(と書いてドルクと読む。マンガ版にしか出てこない敵対勢力)軍に対して討って出る。
主人公のナウシカも成り行きでクシャナの攻撃隊に加わる。

マンガである。
小説に比べれば、絵で表現できるアドバンテージがあるとはいえ、所詮は静止画。
しかし天才ミヤザキの画力は、読むものの脳内に、まるで大画面で映画を見ているような躍動を感じさせる。

いや映像をはるかに超えて、騎兵のまとうヨロイの重さや何か月も風呂に入れない戦場の疲労感、戦闘時にカブトや槍に伝わる衝撃、口の中に土埃や血の味までも感じさせる。
それが洪水のように読み手の脳になだれ込んでくる、そのテンポが速すぎて戦闘の情況がよくわからん!

「だったらゆっくり読めばいいのに。」
全くもってその通りなんだけど、興奮しすぎて目が次のコマにどんどん進んじゃって、手が勝手にページをめくっちゃうんですよ、半ば強制的に。


もしマンガ版のナウシカが実写化されたら。
それは全てのナウシカファンの夢ではある。

でも。
夢がかなうと同時に、マンガを読んでいた時に読者の想像力が作り上げた「体験」は、具体的な映像に上書きされて、「映像以上だった」無限の想像力は、消えてしまうだろう。

そう思うと、やっぱりナウシカは永久に実写化されなくていいし、
もしされたとしても、自分にとってはきっと、「何か思てたんと違う恐竜映画」と同じにしかならないだろう。


例えどれだけ映像の表現力が向上しても。映像どころか、VR技術でもっと実体験に近い表現が可能になったとしても。

それでもなお「紙に黒インクを刷り込んだ文字の羅列」である小説は無くならないし、「所詮は静止画」「所詮は2次元」のマンガも無くならないだろう。

人間に想像力がある限り。

(終わり)

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