見出し画像

GAKUルーツ《田故知新》vol.8

変わり続ける今に生きる、変わらない想いと共に…

小雨がシトシト降り続く伊那谷です。田楽座新聞から歴史を振り返るシリーズGAKUルーツ《田故知新》vol.8は2000年代後半からお届けします!!
6月は我らが座長 スケさんこと中山 洋介の生誕祭ということで、今回はスケさん特集で参りましょう~
お祭りの取材や稽古をつけていただいた経験をそれぞれが「言語化」する、ということを田楽座はずっと大事にしてきました。
スケさんの特技【めちゃめちゃ語る】!本領発揮です!!!

2007.8月号掲載
金津流梁川獅子躍への思い

私は獅子躍が好きだ。
土の上を踏んでいく足の運び、体のしなり、小さな頭の振りが好きだ。
幕の下から漏れる「シッ」という声や、自然がそのまま口ずさんでいるかのような唄声が好きだ。
重なり合った八頭が、ゆっくりした太鼓を奏でながら一斉に足を運んでいくときの腰竹や幕の揺らめき。
激しく狂っているときの、はね上がった幕の下から見える、踊り手の躍動。息遣い。
はじめて現地の獅子躍を教わったのは五年前。装束をつけずに目の前で踊ってくださった及川俊一師匠の、流れるような美しい踊りが鮮烈だった。
獅子躍は装束が多い。腹に太鼓、背中に身長の倍ほどの長さの二本の腰竹。獅子頭には鹿の角が生えており、麻の幕が垂れて上半身をすっぽりと包み込む。踊り手は太鼓と唄と、一人三役である。背負った懐竹を地面に打ちつけ、激しく跳躍しながらの踊りで、踊りこなすにはかなりの修練が必要である不要な動き、力まかせの動きをすべて切り捨て、装束が踊りの一部として体に溶け込みきったときー。そこに人間ではない、"獅子躍”が生まれるだろう。

再び獅子躍の地、江刺(現奥州市)を訪れ、稽古となる。師匠の及川俊一氏の指導は妥協が無い。獅子躍とはかくあるべし、という確言に裏打ちされた、揺るぎのない指導である。新子躍は八人一組の踊りで、それぞれの役割があり、芸の伝承は八人セットで行う。八人の中心となるのが「中立ち」で、及川氏は第十代の中立ちである。現在踊りは第十一代へ伝承されようとしているが、踊りの演目だけでなく、儀礼なども含めて伝承しなければならないことが山ほどあるので、その継承は並大抵なことではない。その奥深さにはまり込んでしまい、仕事も家庭も省みない、踊り狂い”が出てきてしまうのも、獅子躍では珍しいことではないという。

ここぞとばかりに質問攻めの中山青年


指導が終わり、夜には交流の場を用意していただいた。庭元の平野幸男氏もお付き合いくださり、田楽座のだしものを見てもらったり、お酒を酌み交わすなかで皆さんに様々なお話をうかがった。及川氏は平野氏を「先生」と呼ぶ。「先生の中立ちも、そりゃあ良かったヨ」と、往年の師匠の踊りに思いを馳せる。及川氏曰く、「自分が七十歳、八十歳になって踊れなくなったとき、『やっぱり獅子躍は良いもんだなあ』と思える獅子躍を見たい。だから妥協はできないんだ」と。一生を獅子躍に捧げ、それでも足りず、未来の獅子躍の発展にも心を砕く。
そんな師匠を前にして、自分が獅子躍を好きだなんて、自を持っていえる日なんか、永遠に来ない気がした。

及川師匠のこの姿だけで想いがヒシヒシと伝わってきます

「郷土の人たちがこよなく愛し、続けてきた芸を、舞台の華やかさだけで、全く違うものに作り変えられることは本望ではない。
古式豊かな勇壮な舞を、田楽座の次の代の人たちにもちゃんと伝えていってほしい。」師匠の言葉は、獅子躍を愛するすべての人々の思いを背負っていた。

2008.10月号掲載

取材記 新野の盆踊り 長野県下伊那郡阿南町

町の中心に組まれたヤグラの上では、唄い手が数人輪を作り、踊りながら唄っている。太鼓や笛、三味線などの囃子は一切ついていない。唄い手の音頭に対して、盆踊りを踊る人々も返しを唄う。ここに生まれ、この盆踊り唄を、自分の唄としてのびのびと歌えることを、心の底から羨ましく思う。
踊りの輪は街路に沿って細長く伸び、踊る人数が多ければ多いほど、輪の端は街路の出口付近まで広がっていく。
盆踊りは眠い中踊るのがいい。眠気と疲労で意識が朦朧としてくるなかで、どこからが自分でどこからが他人なのか、何が現実で何が夢なのか、そこが溶け合って混然とした中に、身を泳がせる心地よさ。

盆の終わりの惜しむかのよう、に朝になるとぞくぞくと人が集まってくる。


お盆が明ける十七日の朝六時頃。夜を明かした踊り手の顔に、朝陽が照りつけるころ、最後の踊り「能登」となる。新盆の家から集められて、ヤグラに吊られていた切子灯篭が外され、町外れのお寺へ向かう。
「能登」を踊る若者たちの輪が、盆踊りを終わらせまいと、切子燈篭の行列が墓に向かうのを妨げる。
「さあさ皆サマしおれちゃダメよ…・」。切子燈篭の行列はその輪を壊しながらお寺へ向かって進んでいく。「ナンマイダンボ・・・」
ようやくお寺の下のジョウドについた切子灯篭は、そこで燃やされて、お盆が終わる。トンボが飛び交い、秋の匂いがし始めた朝の空に吸い込まれていく煙。その煙に、帰っていく霊の姿を、ここに暮らす人々はイメージしてきたのだろうか。
ぞろぞろと家路につく人々。帰り道、振り返ってはいけないと伝えられている。振り返ると、霊が帰ることができずについてきてしまうから、と。だから自分の前を歩く人の顔を見ることはない。
「秋が来たとて鹿さえ鳴くに・・」。
信州では、お盆が明けると秋になる。秋唄を唄いながら帰る人も少なくなった。
(中山洋介)

いつか訪れてみてほしい【新野の盆踊り】

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?