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コロナによる対立⑵ー社会をどう作るべきか

こんにちは。実は前回の記事でもう1章書こうと思っていたのですが、時間がなくて諦めちゃったので、今回は続きを書こうと思います。前回の記事を読んでいなくてもわかるように書くので、読んでいない人もそのまま読み進めてもらって大丈夫です。

1.前回のあらすじ

はい、というわけで、ざっくりですが前回のあらすじを書いておきます。

今日本は第2波と呼ぶべき状態になっていると思いますが、第1波と異なり、「経済活動」と「人の命・健康」といった2つの利益の両立を目指しています。この2つはどちらか一方を優先するともう一方は後退するというトレードオフの関係に近く、2つを両立させるバランスの取り方が明確には定まっていない状況です。

前回はここから、自粛派と経済活動推進派の対立についてどう考えるべきということを、僕なりの意見で提示しました。が、今回は関係ないので省略します。よかったらリンクを貼っておくので読んでみてください。

さて、たくさんの専門家を集めながらも、何故なかなか2つの利益のバランスを取ることができていないのでしょうか。そして、私たちは2つの利益のバランスをどのようにして決定すべきなのでしょうか。これを以下では見ていきたいと思います。

2.事実と評価の役割分担

先ほど述べたように、いま日本では、経済上の利益か、生命か、というトレードオフの状態が生じています。この問題について、様々な感染症の専門家や経済の専門家が知恵を出しているにも関わらず、なぜか政策の方向性は定まっているようには見えません。これは専門家の力量の問題なのでしょうか。

例えば、緊急事態宣言を出すことによって、コロナの死者数は5万人減少するが、経済には100兆円のダメージがでることがわかったとしましょう。この場合に、緊急事態宣言は出すべきではない、あるいは今すぐ出すべきだ、ということを主張するために説得力のある理由付けは可能でしょうか? もしこれが、死者数が10万人だったらどうでしょうか?

感染症の専門家は、一定の対策をとった場合に、どの程度被害が広がるのか推測することは可能です。また、経済の専門家も、どの程度経済的な影響が出るのかある程度予測ができると思います。これは、一定の政策をとった場合にどのような影響がでるのか?という事実レベルの判断です。

しかし、じゃあ10万人死亡する・100兆円の損失がでる、という計算が立った場合に、このどちらを優先すべきか?というのは事実の評価の問題です。そして、この問題について答えを出すのはかなり困難であることに気づかれた方も多いのではないでしょうか。つまり、金銭的な損失と人の生命というのは、本来的に比較衡量することが難しいものであると言えます。1人の命を救うために10億円が必要となるときに、命をとるべきか金銭をとるべきか決定的な判断基準を作ることは困難でしょう。

つまり、専門家の役割はあくまで事実の推測をすることであり、その事実をどう評価するのかは、必ずしも専門家の役割ではないということです。

(もっともアイデアとして、例えば、1人の生命の価値を1人が生み出す経済効果に置き換えて衡量するといったことは可能でしょう。しかし、ここにも人の生命の価値は、人が生み出す経済的利益のみなのかどうか?については価値判断が必要で、専門家が勝手に判断できる事柄ではなさそうです)

3.社会をどう作るべきか

それでは、専門家が判断を下すことができないのであれば、どのようにして決定を下せばよいのでしょうか。ここからは、一つの考え方を示してみたいと思います。

私たちの社会は、自らの国の在り方は自分たちで決めるという民主主義の精神で成り立っています。そして、私たちは投票を通して代理人として議員を選出することにより、自らの意思を政治に反映させるという仕組みをとっています。

このような、答えが出ない問題は、まさに私たちがどのような価値観を持つ社会を作りたいか?ということに帰着します。命を重視し、経済的困窮や自由はある程度耐えるという選択をするのか、経済と自由を求めてある程度の犠牲は受け入れるのかということは、私たち自らが選択すべき事柄であり、それが民主主義の在り方だと思います。

そして、その中での代理人としての政治家の役割はまさに、「専門家の評価を踏まえた上で、自分のとる価値観を明示し、2つの利益のバランスを提示すること」だと思います。そういった意味で、吉村知事が5人以上の会食の自粛を求めたことは、政治家としての役割を果たしていると思います。この判断に科学的根拠がない、といった批判も見受けられましたが、そもそも2つの利益のバランスをとる上で決定的な科学的根拠はないので、この批判が妥当しないことは今まで見てきたとおりです。(イソジンは一旦置いておきましょう、、笑)

そして、私たちは政治家の出した判断について、投票・世論といったもので評価することによって、自らの価値観を反映させることができます。そういった判断を可能にするためにも、私たちは今の問題状況を理解して、自分がどういった選択をとりたいのか? 自由・経済・生命のリスク・ウイルスへの恐れといった様々な要素をどうバランスを取りたいのか?についてなんとなくでよいので、考えを持っておくことが大事です。

かなり議論が見えにくくなってしまったかもしれないので、まとめておきます。
①事実の評価に答えはなく、民主主義の下では国民がすべきことである。
②そのために、政治家は専門家の意見を踏まえたうえで、その意見を評価して自らの作りたい社会の在り方を提示すべき。
③私たちは、政治家の提示した社会の在り方について賛成・批判をすることによって自らの価値観を反映し、社会を作っていく

今の議論状況は、政治家と専門家の役割がきちんと認識されていない気がします。このような、それぞれの役割の違いを認識したうえで、最適なコロナ対策がなされることを祈っています。

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