大江健三郎と村上春樹 作家同士の接点
大江と春樹。21世紀に入って以降、二人はお互いのことを好意的に言及しており、リスペクトし合っている。10代のころこの二作家に傾倒した私としてはずっと感慨深かった。
村上は高校生の頃から日本の現代文学としてはほとんど例外的に大江を愛読していたようだ。二人が初めて直接的接点を持つのは、村上のデビュー作『風の歌を聴け』の芥川賞の選考時だ。
この時大江は選評で、村上の作品とは明記せずに、
と書く。
一年後、『1973年のピンボール』が候補になったとき、一転して評価する。
豪華な選考委員の中でも、ヴォネガット、フィッツジェラルドと具体的な作家名をあげて論評した者は大江だけで、しかもその影響は疑いのない事実である。
その後大江は谷崎賞で村上の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』を評する。
谷崎になぞらえたユーモアある賛辞である。
またこの後の文章としてはノルウェイの森発売の頃の記憶を、自身の記念碑的大作『懐かしい年への手紙』と比較して述べている。
大江によると、自分の書き方は、「外国語から受け止めたものをいったん明治以来の日本の文章体に転換する、それから自分の小説の文章を作っていく」ということだ。しかし村上の場合は「外国文学を自分の肉体でまっすぐに受け止めて、文章体というより口語体、コロキアルな文体として自然に流れ出させている」感じと述べる。
さらに村上の場合、自分の口語体を新しい文章体に高めるというか、固めることもしていられて、それが世界中で受け止められている。
私としても村上の卓越した文章のセンス、淀みなく流れる正確な描写とリズム感を、多くの読者と同じく敬愛しているから、この批評は頷ける。(かといって近作の自己模倣を全面的に肯定するというのは避けたいが…)
以上が大江側からの村上評価である。
村上春樹側からの大江への言及としては、なにより『1973年のピンボール』というタイトルにあげられるだろう。しかしタイトルがどれだけ内容の価値を決めるというのだろう。このことはあまり意義を持たない。
『ノルウェイの森』に、大江への言及が二度ある。一度目は1969年に「僕」の周りの学生たちがよく読んでいた作家として。
二度目は「緑」が語る小林書店に置いてない本のタイトルとして。
大江文学が60年代の文系学生を象徴するアイテムであったことを利用し強調する手法をとっている。
また、エッセイ『村上ラヂオ』にも言及がある。
村上が言及している現代文学(1945年以降)の作家といえば、本としてまとめた第三の新人の一連の作品群を除いては、大江健三郎と筒井康隆くらいである。
(近年、『ペンギン・ブックスが選んだ日本の名短篇29』にて、年少の佐伯一麦、佐藤友哉、星野智幸、川上未映子などの作品に言及している。)
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