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堀江敏幸「濃密な淡彩──パトリック・モディアノ論のための覚え書き」を読んで Vol.1

ここに並んでいる言葉は、現在の感覚からするとたしかに若い。しかし私がやっていることは、当時もいまも、漠然とした柵のない散文の領地のなかで先人が書き残してくれた一語一語を拾いあげ、それを自分の呼吸で並べ直すという地道な作業の反復にすぎないし、これからもおなじ作業を繰り返すことしかできないだろう。

堀江敏幸「文芸文庫版あとがき」(『書かれる手』2022年)


芥川賞、谷崎潤一郎賞、川端康成賞、読売文学賞、野間文芸賞などなど、日本の文壇における「小説」の文学賞を総ナメするだけでなく、その選考委員を務める立場である堀江敏幸が、「小説」をも念頭においているかはともなく、これほど謙虚な自己認識をしている点に、私はまず惹かれる。
芥川賞受賞作の「熊の敷石」からして、本人は小説だと思って書いていなかったのだ。それはジャンルを規定する定義への懐疑もあるだろうし、作家的態度ともいえる。
これほどまでに堀江が謙虚であるように思えるのは、古今東西の本物の名作を、誰よりも丹念に独自の視点から読み込んで、感銘を受けているからに他ならない。

このパトリック・モディアノ(1945-)の試論は1989年に『早稲田文学』に掲載された。堀江は1964年生まれだから、25歳のときの文章である。
つまり商業出版へのデビュー前だ(し、私の今の年齢より若い。これはかなりショッキングだ)。
モディアノといえば、2014年のノーベル賞受賞後は単行本がいくつも出て、それなりに読まれたと思う。私も当時リアルタイムでニュースを見ていたし、『パリ環状通り』を読んだ。父親の失踪をめぐる自伝的な話で、文章も平坦でなんの魅力も感じなかった。
しかし、堀江敏幸の後年のエッセイ集『回送電車』を読んだとき、私の認識に新たな視点がひらけた。
堀江がいうには、

モディアノは、ユルスナールの文章とは対照的に、初級文法を終えた程度の学生でも理解できる構文と切り詰めた語彙から最大の音楽を引き出す、魔法のような文体の持ち主である。

堀江敏幸「身体よ、忘れるな」(『回送電車』)

堀江はユルスナールに感銘を受け、学部での卒論にユルスナールの作品を選んだ。
彼女に導かれてリルケの『マルテの手記』を手にした際、フランス語訳のペーパーバック版のための序文が、ユルスナールとは無関係であるが、愛読していたモディアノによるものだった驚きが書かれた文章が上記である。

この文章はaからdまでの4部構成となっている。
はじめのaではモディアノの固有名は登場せず、過去を回顧する形式、回顧録や自伝と目される内容についての省察となっている。
ガリマール社に移ってからのフィリップ・ソレルスやアラン・ロブ=グリエなど、かつてアンチ・ロマンを標榜していた作家たちがその後自伝的要素を取り入れなければならなくなった事実や、「誰かべつの人物に「私」を仮託して伝記的な仕掛けを施」したジイド、ユルスナール、サン=テグジュペリ。彼らの作品はそのままが遺作となった経緯がある。
それからフランス文学史そのものを変貌させてしまったマルセル・プルーストの過去を集大成する作品に対して。

小説形式と、回顧録への折り合いについて、フランス文学がある行き詰まりを見せているかの状況において、モディアノは22歳でのデビュー作から自伝的な捉え方が違ったと堀江は述べる。

モディアノの主題はユダヤ人であることと、パリ占領下時代の光と影、そして過去。

(続く、かも…)

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