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隣人ガチャで大ハズレを引いた話1

家を持つと気持ちが大きくなる


はじめに

 家を買うということは人生における大きな決断である。その大きな覚悟を経て得られたものは何事にも代え難い財産と言っても過言ではない。特に一戸建ての住居は土地という自身のテリトリーを含めた不動産を所有することになり、その領域内であれば様々なことが可能となる。ちょっとした日光浴、DIY、車の整備、家族との語らい、バーベキュー、してみたいことはたくさん思い浮かび、不動産会社と夢のある建築プランを語らうことができるだろう。そんな、夢と現実の話。

家を買う

 社会人になって2年が経過したころ、世間はコロナの脅威に曝されていたこの頃はリモートでの仕事が当たり前になっていたため、自宅で生活と仕事を両立する必要があり、お互いに配慮が必要な時間も生じていた。この頃の私は一戸建ての賃貸に両親とともに住んでおり、頻繁に開催される「会議」により、周りに気を遣わせないため縁側で仕事をするのが日課になっていた。社会人にも慣れてきたのもあり、この調子が続くのなら一人暮らしも良いかと感じてリモートでの仕事に取り組む日々だった。

 そのような最中、突然、父が家を買うことを宣言し始める。現在契約している賃貸の契約更新の日が近づいているため、社会情勢も含めて家を購入することを決めたらしい。家の購入に際して、両親はいくつかの不動産会社にローンの相談をし、私と父の年収であれば一戸建てのローンが通ることを知った。そして、偶然今住んでいるところの近隣で、大規模な新興住宅地の開発計画も告知され、そこに家を買うことを検討し始めた。いつの間にか頭数に入れられていた私は、父とともに不動産会社の元へ通うこととなる。

家を建てる

 不動産会社との打ち合わせは何度も行われたため、在宅ワークで時間が作りやすい状況だったことをありがたく思った。幸いにもローンの審査をはじめとした契約は順調に進む。新興住宅地には約50棟の戸建てを建設するとのことで、広い空き地だったところに契約が済んだ世帯から建築用の足場が組まれていった。私たちは比較的遅くに契約を締結したため、周りの住宅の建設が順調に進むのを見ながら、自分たちがこれから住むことになる家の建設が始まるのを眺める日々が続いた。
 それから約半年が経過し、私たちの購入した角地の土地に戸建ての住宅が完成した。不動産会社から引き渡しを受けても、まだ家を購入したことが実感できず、現実味の無い感覚に包まれていた。しかし現実はそれどころではなかった。後一ヶ月で賃貸契約が終了するため、一刻も早く家財を新居に移さなければならない。新居は歩いて三分程度の距離なので、冷蔵庫のような大物家電以外は台車を使用して運び出すことができた。私は仕事の合間や昼休憩を利用して次々と家財の運び出しを行った。この時ほど在宅ワークが一般化していたことをありがたく思った日は無かった。

嫌な予感がする

 それはあるときのことである。私は家財を新居に運び出していた時、新居の目の前の丁字路に自転車が何台も停められているのを見かける。まだ建設中の家が多く、道には建設用の車両が何台も駐車しているとはいえモラルが無いと感じた。何事か確認すると、どうやら私たちの家から少し離れた旗竿地に住む家庭で多くの知り合いを呼び、バーベキューパーティーをしているようだった。新しい家を手に入れてとても嬉しいのだろう、バーベキューくらいはやりたくなるのは分からなくもなかった。しかし、そのために道路上に自転車を停めさせるのはいかがなものかと感じた。
 せっかく新しい家を手に入れて喜ばしい気持ちになっていたのに、水を差された気分になりながら家財の運び出しを続けた。すると、会食をしていた旗竿地の方角から大声で叫ぶのが聞こえ、暇を持て余した子どもたちが自転車で競争をしているのを目にした。私は台車で家財を運んでいたため、ぶつかられるのではないかと危機感を覚えながら彼らをやり過ごした。このとき、私はこういった状況が頻繁に続くのではないかと、非常に嫌な予感を抱いていた。

夜まで続く会食

 家具を運び出して1週間が経ったころ、旗竿地ではまたバーベキューを開催していた。よほど新しい家を手に入れたことが嬉しいのだと感じられる。しかし、以前とは様子が少し違っていた。参加者の多くは小学生あたりの子ども連れで、総勢10人以上が集まっていた。また、近隣で引っ越しを終えた住民も参加していたようで、かなり大規模な会食になっていた。大人たちはお酒を飲んでおり大声で会話をしていた。そして、子どもたちも大騒ぎで走り回ったり、家の前の道路を利用してサッカーに興じていた。
 常識的な感性なら夜には会食は終わり、いつものように閑静な住宅街に戻るだろうと考えていた。しかしながら、荷物の運び出しを開始した朝から、暗くなるまで会食は続いていた。徐々に参加者の酔っぱらって騒ぎ立てる声や子どもたちの雄たけびのような騒音が家の中まで聞こえ、重たい荷物の運び出しを終えて疲労困憊となった身に響いた。夜10時ころを迎えると、子どもたちは私の家の前の道路に集まってバレーボールを始めた。周りは静かなエリアだったため、彼らの声は非常に遠くまで響き渡る。いつまで続くのだろうか…そう思っていると、深夜1時頃には解散となったようだ。

「道路族」

 私は深夜まで会食を行い、大騒ぎをすることが一般的なのか、それを非常識と思うことが変なのかを疑問に感じたため、インターネットで検索をする。すると、住宅地、特に戸建ての住宅密集地の道路上で遊ぶ子どもや、夜遅くまでバーベキューをして近隣とトラブルになるケースが多くみられることを知る。酷いときは警察に通報が入ることもあるようで、社会問題の一種になっているとのことだ。このような問題を起こす人のことは「道路族」と呼ばれ、近隣住民の厄介者として認識されている。また、深刻な場合は裁判沙汰になるほどの事案だということを知った。
 道路族についてより調べてみると、そのような騒音被害などをマッピングした「道路族マップ」というサイトを見つけた。そのサイトに記載されているコラムを読んでみると、住宅地で遊ぶ子どもの奇声、ボール遊び、バーベキュー、プール遊びなど様々な状況による騒音トラブル、隣人トラブルが取り上げられていた。私はこの時、自分たちが購入したこの新居の隣人が、道路族と呼ばれる人種に該当し、世間的に厄介者と扱われる人種であることを知り、簡単に解決できる問題では無さそうなことにため息をつく。

ここまで

 読んで、たかが子どもの叫び声や遊ぶ際の物音、会食時の会話で大げさにとらえすぎだと考える人もいる。私個人としては自身のテリトリー内で、周りに迷惑をかけずに楽しんでくれるなら問題は無いと感じている。しかしながら、彼らは私の住む家の前でサッカーやバレーボールに興じ、また深夜も近い時間帯に雄たけびのような大きな声をあげていた。それが子どもとして普通の振るまいかと考えると、そうは思うことは難しい。まともな親であるならば、近隣の迷惑になるから騒がないよう子どもたちを窘めるのが常識的な行いであり、自分たちも模範となるよう騒がないのが大人だと認識している。私はたった数回の会食で近隣に住む者たちが、そのような配慮をしない非常識な人間であると認識した。そして、自分たちはそのような行いをしないよう意識するきっかけにはなっている。そのような考えをよそに、近隣住民たちの活発なコミュニケーションは繰り返されていく。

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