[メルボルン] 2023年とんでもない賃貸事情
■メルボルン、又もや”崖っぷち”スタート
まだ記憶が新しいうちに記録しておこうと思います
タイからシンガポールを経由して
2023年2月2日、無事オーストラリア、メルボルンに到着
夜着だったので、ハイヤーを頼んでおいたのですが
どこを見渡しても、私の名前のプラカードを持った
ドライバーはいない 汗
夜遅い上に大荷物、、
バンコクから旅行がてらに
同行している年老いた母と、
バンコクの友達と
別れのテキストにずっと浸って
携帯にスタックされている息子たち、、
私は一人必死でドライバーらしき
人たちに片っ端から声をかけ
「あなた、私を探してませんか?」
と聞いて回ること約1時間、、
「どうしたの?タクシーは?
お腹すいたー」
「喉乾いたんだけど、何かないの?」
と携帯いじりながら何をするでもなく
文句ばかり言っている息子たち
1件だけ空いていた空港の売店で、
パンと水を購入し
彼らに渡し、今度はハイヤーの予約をしていた
”Booking .com”
に連絡。 電話、、出ません
夜中なので、、電話は繋がらないそうです
なんてこった、、
予約していたサービスアパートまでは
空港から小一時間なので
Uberは呼ぶと高いから
ちゃんと予約の特典だった
無料ハイヤー頼んでたのに、、涙
結局1時間半ほどしてもう心身ともに
クタクタだったので
諦めてUberX (大きいサイズ)を呼び
やっと来たかと思うと
荷物が積みきれない事発覚、、
運よくそのドライバーの友達ドライバーが
来てくれるというので
2台でサービスアパートまで行きました
かかったコスト
値段交渉の末、
200 AUドル、、、
出だしからこの予想外の出費、、
旅の疲れの上に
精神的にも結構こたえました。。
しかし、こんなことで終わらないのが
私たちの”崖っぷち”ストーリー、、
時間は既に夜中1時半頃、、
高級住宅街、Brightonエリアの
ちょっと小洒落たシェアハウスのような
サービスアパートメントに到着
ここからが、又また神様のイタズラが始まり
私たちはそこから約1時間、
部屋に入る事ができませんでした
予約した部屋の前で呆然、、
何やら番号を入れて解除する鍵が
ドアノブにがっつりついており
メールでもらっていたパスコードを入れても
いっこうに鍵が解除されない、、汗
どうも、最新式のしかも外国製の(当たり前ですが)
見慣れない鍵で、、
銀行キャッシュカードのように
何度もエラーになると
2度と開かないかもしれない、、
と額に汗しながら、
他にインストラクションをもらってないか
私が必死にメールを辿っている間
なんと長男がその鍵のメーカーの
webサイトを検索して
同じ型の鍵のインストラクションを見つけ
開け方を発見
何とまあ、問題解決力高い!
と久々?に機転のきく長男に感心し
それと同時に私も以前にメールで送られてきた
別のパスコードを発見
(そもそも最初に見ていたパスコードも間違えていました 笑)
何はともあれ、その正しいパスコードと
ちょっと複雑な開け方の
長男が見つけたインストラクションで
無事部屋に入る事ができました
この時既に夜中2時半を過ぎていたと思います
部屋は思ったより少し広めで綺麗、、、
救われました
年老いた母もほっとした様子で、
とにかく、野宿させることにならずに済んで
本当に良かったと思った
メルボルンの初日でした
■賃貸契約までに1ヶ月かかったメルボルン
約二週間ほどのメルボルン滞在後
年老いた母はもう満足だと
日本に帰国
母帰国までネットで検索した
子供の学区内周辺の物件を
一緒に内覧すること
約5件
メルボルンの恐ろしい?
賃貸事情をこの時はまだ知る由も無く
能天気にここがいいとか、あそこはイマイチとか
物色しながら内覧で気に入った物件の
入居を申し込んでいました
メルボルンの入居申し込みは
全てオンライン
びっくりするくらい
多くの情報提供をしなければならず、
(ハワイ、バンコクと比べ物になりません。。)
メルボルンでの居住履歴のない私は
メルボルンの前に滞在していた
バンコクのアパートの管理会社や
バンコクの前に一時帰国していた
東京での賃貸アパートの居住履歴やリファランス*を
*借主の信用度合いを確認するために、前回の賃貸契約先や雇用主などからの参考人や推薦人のこと。
を取得する必要がありました
そしてそれ以外にも
日本で扶養範囲内の収入しかない私は
・夫の収入証明
・銀行残高証明書
・会社の在籍証明書 などなど、
ありとあらゆる証明を添付して
申し込みをしたにもかかわらず、
不動産会社からは一向に連絡がなく
母が帰国するまでの約二週間で
結局アパートの賃貸契約をする事ができなかったのです
とりあえずもう一週間、安めのAirbnbで
寝床は確保しましたが
前回より安いと入っても
キッチンなしで結構なお値段の
予定外のAirbnbの出費はきつく、
「メルボルンは一体どうなってるの、、」
「何かおかしい、、」
「ハワイでもバンコクでもこんなことなかったのに。。」
と大きな不安が押し寄せてきて
その日から
結局入居が決まるまでの更に約二週間
心臓バクバクが止まらない夜を
過ごすこととなりました
■メルボルンで今起こっている賃貸事情
今ここメルボルンの不動産事情で
何が起こっているか、というとそれは
需要に供給が全く追いついていない
という事実でした
いくつ目かの内覧にいったとき
たまたま前回入居申し込みを入れた
不動産担当者に出会したので
「この前の物件、申し込み入れたのだけど
全然返事がないです。どうなってるんですか?」
と聞くと、
「私は担当じゃないから分からないけど、
とにかく返信なんかゆっくり待っててもダメよ。
次から次へと片っ端から申し込まないと!」
と言われ
「えっ?片っ端からって、、どういう事ですか?」
と聞くと
「1件の内覧に何十組も申し込みが入っているのよ。
次から次へと申し込まないと、待っててもダメよ。」
と、、
その時初めて、このメルボルンに何か異変?
が起こっていると、
危機感を持ちました
その後、タクシーの運転手や
たまたま行った焼肉屋のオーナー、
美容院のお姉さんなど
聞いたところによると
以下のような実態が判明、、、
コロナ禍で帰国した多くの外国人、特に中国人がメルボルンに戻ってきている
コロナ禍後に投げ売りされた不動産が、高値で売買され賃貸物件が異常に少ない
賃貸物件の高騰
需要に供給が追っついていないためお金のある人からしか入居できない
City(メルボルンの中心地)の賃貸入居確率 約15%くらい(*全体の申込者数に対して入居できる確率、、これは不動産屋の統計ではなくあくまで噂話です、、)
日本人留学生やワーホリはシェアハウスですら入れていない、、
入居できるまでに2-3ヶ月かかるのは序の口、、 etc…
こんな実情は
全く全く想像してませんでした
結論的にいうと
私は幸運にも本当に多くの人の助けがあり
入国から約1ヶ月で
賃貸アパートを借りることが
できたのですが、、
本当に生きた心地はしませんでした
その時滞在していた
Airbnbにも次の予約が入ってしまい
3日後の朝10時には
出ていかないといけないという
”崖っぷち”状況の中
不動産屋からの電話がなり
「Congratulations!! (おめでとう!)]
と、、
「えっ? それって。。」
「はい、無事契約していただけます。
入居は最短で3日後の朝9時になりますが
どうされますか?」
もう、心臓が止まるかと思いました
何てこと、、
3日後の朝10時には
Airbnbを出なきゃいけなかったところ
3日後の朝9時には鍵がもらえる、、
ここでも神様のいたずらか、、涙
体がヘナヘナになる程
安堵感と生きた心地を
取り戻し、
すぐに賃貸を契約をすすめました
これは本当にラッキーで
鍵引渡しの当日、
不動産屋に
「あなたは本当にラッキーよ!」
と言われたのが後々にも
この実情を知って
身に染みました
もし、あの時この契約ができてなければ
おそらく日本に撤退しなければ
いけませんでした
私たちには
後1ヶ月も2ヶ月も
Airbnbやホテルで滞在する
そんな余裕はありません
そうなると、
子供たちの教育はどうなるんだろう、、
バンコクに後ろ髪を引かれながら
最後の親の先導に複雑な思いで
ついてきたこの子達
親の勝手な教育方針で
自分たちなりに
新しい環境と学校を受け入れ
少しづつ友達も作り初めていたのに
又、日本帰国という現実を突きつけられたら
もうこの子達は鬱になってしまうのでは
ないだろうか
立ち直れるだろうか、、
そんな事を夜な夜な考えながら
硬いフロアーの上で
熟睡などできるわけもなく
毎日不安と不眠との戦いでした
ハワイやバンコクでは、
ましや日本では全く考えられなかった
”賃貸ができないという現状”
本当に恐ろしかったです
今でも賃貸できない人が
地元のオーストラリア人ですら
沢山いると聞いています
これからメルボルンに限らず、
特にオーストラリアに
留学、お仕事などでも
移住をお考えの場合は
できる事なら入国前には
契約までこぎつけて、
おかれることを
本当におすすめします
今回は少し長くなったので次回には
■私が賃貸契約のためにやったこと
をお話しできればと思います
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