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小説「標識の人」

ある秋の日。
警察署の取調室に、ハットを被った紳士が一人入って来る。

「いやぁ~どうもどうも」

どうも。初めまして。あ、こちらに座る? では、失礼して。わ、緊張しますね……宜しく、お願いします。
……え? 私ですか? 私は、埼玉でサラリーマンをやっている者です。ご存知かと思っていました。
え? ……あぁ、一応の確認のためですか。なるほど。はい。外出の際はいつもこの、帽子を被っています。これはもう、昔からですねぇ。
5年前郊外に一軒家をやっと購入しましてね、夢のマイホーム生活を送っています。5年前だからちょうど、

「30の時です」

結構思い切った買い物でした、ローン組んで、両親にも金を借りて。勿論まだローンも結構残っています。

「50までには何とか」

老後までには払い終えたいなと。老後の生活の為にも早く完済する予定です。家は気に入っていますよ。自慢の庭がありましてね。ええ。

「庭はね、ちょっと丘っぽくしているんですよ。」

最近土を入れ替えて、少し盛りましてね。子供たちが良く遊んでいますよ。娘なんか「パパおができたね!」なんてはしゃいでね。
刑事さんはお子さん、いらっしゃいますか? ……そうですか。良いもんですよ子供は。この子達の為ならなんでもしようって気になりますからね。
……え?職場? 四谷です。なので埼玉からは、

「電車通勤です」

苦労はないかな。自分で望んだ、夢のマイホームですからね。片道2時間近くかかりますが、住めば都ですよ。
……家族ですか?

「息子と娘の2人です」

先ほど申しましたが、子供は2人。息子と、。2人ですね。息子はもう反抗期が始まってしまって。早いですよねぇ?
なんにつけても、あれが嫌だこれが嫌だと駄々をこねるんです。ホント絵に描いた様な天邪鬼ですよ、アイツは。娘はまだです。私と一緒にいる事が、比較的多いかな? 可愛いですよ。

「娘とよく散歩に行きます」

あの子達は今の私の心のオアシスですよ……妻ですか? ……妻は、先月、出て行きました。理由は良くわかりません、子供を置いて何も言わずに出ていくなんてね。
何の理由があったにせよ、ちゃんと言って欲しかったですよ。僕が、彼女にとって気に入らない事をしていたというのなら、いけない事をしていたというのなら、

「何がいけなかったんでしょうねぇ」

僕のアウトな部分を、ちゃんと言って欲しかった。そうすれば、解決する方法もあったかもしれないのに…。子供達になんて説明したら良いのか………今はまだ旅行中とか言って、誤魔化してはいるんですけどね。ええ。
ペット? 飼っていますよ……犬?いえいえ、犬じゃありません。猫でも無いです。そういったよくあるタイプのペットじゃないんですよ、うちのは。犬とか猫とか、インコとかハムスターじゃありません。ハハハ。

「角が、立派なんですよぉ」

ご想像にお任せします。大きいですよ~、ナウシカって名前なんですけどね、大きい角も生えています。いや~カッコイイんだコレが。昔から大きいペットが飼いたくて、ついね買って飼ってしまいました。子供達にも良く懐いています。
生活ですか? まぁ、コロナ禍からずっとうちの業界不景気ですからね、当初の予定じゃ収入は、

「上がって欲しかった

年々こうなる予定だったのに実際は、

「円安怖いですねぇ」

こうですもん。減少する一方ですよ。そりゃやってらんないですよ。ローンあるのにね。でも愚痴ってばかりじゃいけませんし、子供の将来のためにも、頑張らないと。そうでしょう? ですので、

「無駄な買い物は止めました」

キュッとね、生活の支出を少しでも抑えて、無駄なお金使わないようにしています。酒・タバコは真っ先に止めました…うん……以前ですか? 以前は、趣味でね、汽車の撮影をしていたんですよ。車で、

「蒸気機関はロマンです」

SLの写真を撮っていましたね。渓谷を越えて走ってくるデゴイチを撮影するのが大好きでした。堪らないですよ、ファインダー越しに感じるあの存在感。鉄の塊なのにもかかわらず、生命を感じるんです。巨大な生き物が黒煙を吐きながら現れるのは圧巻の一言でした……。多い時には、毎週末写真を撮りに地方へ足を延ばしたもんですよ。それが今じゃ休日はもっぱら、

「オフロード用のに乗ってね」

自転車一筋。もしくは、

「テトリスです」

自転車は初めて良かったと思っています。健康にいいですから。毎日1時間は必ず自転車に乗ってね、運動していますよ。お蔭で7㎏も痩せて、

「毎日3㎞は乗っています」

良い事づくめです。子供達にも、自転車の良さを積極的に伝えるようにしていますよ。乗んなさいよ~って。ハハハ。ですが今は家計が厳しいので、

「専らウィンドーショッピングです」

子供用の良い自転車を買ってあげられなくてね、結構するんですよ、本格的なのって。今はまだオフロード用は僕の自転車しかないので、そこは申し訳ないなって思っています。
いつかは子供用のカッコイイオフロード用の自転車も買い揃えて、僕と子供達2人と一緒に、

「僕の後ろをくっ付いて来てくれたら、嬉しいなぁ」

サイクリングが出来れば良いなと思っています。
……え? 先月の14日ですか? ……えぇ、覚えていますよ。だってその日は久し振りに。本当に久し振りに、

(早く帰りたいな)

汽車を撮りに、

「プリウスです」


で、

(同じ様な話を何回もしなくちゃいけないのは、疲れる)

に行きました。1年振りかなぁ。デゴイチがまた走るって小耳に挟みましてね、もういてもたってもいられなくなってしまいまして……。
仕事上のストレスや生活のモヤモヤを撮影で発散したくて、行ってきました。
……え? ……その時に事故? ……ええ、まぁ、坂道で少しハンドルを切り損ねて、

(やっぱりこの話題かぁ)

ガードレールに衝突を。いや~ビックリしました。やっぱり疲れてるとダメですね、以前は徹夜で運転しても何の問題もなかったのに、今じゃちょっと疲れただけで眠気は襲ってくるわ目は霞むわで。
……ええ、その時に車、お釈迦になってしまって。知り合いの工場にお願いして解体してもらいました。
……は? バイク?

「バイクは知らないなぁ」

バイクと接触事故? 私がですか? いえいえ、僕は自分の不注意でガードレールにぶつかっただけで、

「だからバイクは知りませんって」

バイクになんてぶつかってないですけど。そんな、接触事故なんて私はなにも……。そんな事があったらちゃんと通報しますよ。
……え? ダムから大破したバイクが発見されたんですか? あ、そうなんですか。
……え? ……そのバイクの運転手が行方不明? あ、私の事故と同じくらいの時期から音信不通に……大変ですね、心配だな……。
調べたい? 私の車をですか? でもあれはもう解体をしてしまったから……。
ん? ん、ん!?

(解体の事、知ってたか!)

僕を、まさか、刑事さん疑っているんですか………!?
な、なんでそんな、
……はい? ………現場からプリウスのタイヤ痕が?
え、ひき逃げ!? 僕がですか!?

(あの日の事、どこまで知ってるんだこの刑事……)

それはそうですよ、僕はガードレールに激突したわけですから、その時のタイヤ痕でしょう。それはあるに決まってるじゃないですか。
……バイクの事故現場も同じ場所? ……偶然でしょうそれは。な、なんか悪意のある質問じゃありませんかさっきから!
殺した? 誰を? ……バイクのドライバーを? そんなあなた……。

(どうしよう……さぁどうしようか)

混乱してきたな……頭の中がこんがらがっちゃっていますよ……。
なんでそんな、僕はそのバイクとは全く無関係なんです。
……だからあれは僕だけの事故でしたから、そのバイク事故とかとは無関係なんです。何度言ったらわかって頂けるんですか。参ったな……僕は無実だし、刑事さんは僕を犯人だと思い込んでいる。これはもう、いくら話し合ったところで、

(こ、こぇ、凄い圧かけて来る。これが取調室か)

堂々巡りですよ。同じところをグルグル回っている気分だ。僕はそんな事故起こしていないし、記憶にもありません。

(いやホントはぶつかってしまったワケだけど。ビックリしたよね、突然飛び出して来るんだもん、それはねるよ。)

僕は知りません。何の事かさっぱり。そもそも、そもそもですよ。その運転手の人はどうしたんですか? 

(いやまさか即死だとは思わなかったなぁ。バイクはダムに沈めて、死体は持ち帰ったワケだけど)

バイクを運転していた方だって見つかっていないんでしょう? 死体は見つかっていないんでしょう? だとしたら、死んでいない可能性だってあるはずだ。

(取り合えず埋めて正解だった)

死体が見つかっていないなら、殺人かどうかもわからないでしょう?
……隠した? 誰が? ……私が!? ちょっと待って下さいよ、馬鹿馬鹿しい。冤罪もいいところだ。
こうは考えられませんか?遺体が見つかっていないなら、

(埋めたから見つからない。そこは大丈夫。妻の遺体だってまだ見つかってないんだし)

もしかしたら今頃どこかで元気に、

(庭の土、もう1回盛り直しておこう。丘が高くなったって、子供達も喜ぶだろうし)

暮らしているかも知れないじゃないですか。
ねえ?

老若男女問わず笑顔で楽しむ事が出来る惨劇をモットーに、短編小説を書いています。