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危機感を感じている事。


危機感を感じている事。

 最近危機感を感じている事は、音楽、漫画、服、映画、小説、アイドル…等々
それらのカルチャーを「好きになる」という事を僕自身あえて避けている気がする。

それは本意ではないと信じたいのだが、ここに来て意識してしまった。意識しないように無意識に意識していたのに、ついに無意識の意識が形になりはじめた。
その形というのは、なにかを「好きになる」と色々面倒臭いという思いの事で(こんなこと言いたくない)
例えば、新たに好きな音楽が発掘できたとすると、まず、それについて事細かく調べるという労力。
完全に良さを理解するまでサブスクなりCD、またはライブまで出向く時にかけるお金と時間。
さらに僕の場合は音楽を一旦熟成させる期間も必要になる。
熟成というのは「あえて聴かない期間」の事で、この期間を設ける事によって初聴の時には気付けなかった音や展開に気付く事ができるかもしれないという賭けのように確実性の無い行為。

この成熟というのは漫画や小説、映画、洋服にも当てはまる事で、漫画、小説、映画は、繰り返し何回か見た後、しばらく時間を置いてから再度見ると登場人物の心理描写や最初に見たときとはまた別の角度から見る事ができる。
服に関してはさらに成熟の差が顕著で、良いものは良い、悪いものは悪い、という当たり前の事が複雑に起こる。
服の成熟は他と違い、着続ける事が大事なことだったりする。
新しいコレクションが立ち上がったりすると、どうしても目移りしてしまう、その時に一目惚れしたとしても、果たしてその服は成熟するのかどうかは時間が経ってみないと分からない。
 一目惚れで買ったはずの服なのに全然着る事がなかったりクローゼットで眠っているなんて事はザラにある。
対して、着古してヘタり、生地が薄くなってもそれがまた味になり、新品とは別の輝きが現れることもある。

 話を戻すと今まで語ってきたこと全てが面倒臭く疲れてしまうのだ。
そんな自分が嫌で無理やり新しい音楽を聴き、小説を読んで、映画を観たり、
そうするとやっぱり面白いし、感情を揺さぶられるし、もっと深く探りたくなる。
だから安心するのだけど、いつかこの情熱がゼロになってしまうのではないかと怖くなる。
 僕はこのままどんどん社会に薄まってしまうのかな。


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