日本一有名なニートphaさんの本を読んだ。
ゆるく生きたい。豊かなモノはいらないから楽に生きたい。そんなことを毎日考えている。
最近日本一有名なニートと呼ばれるphaさんの著書を読んだ。
1週間くらい前に「がんばらない練習」と「持たない幸福論」を読み終わった。
どちらの本も楽に生きる方法というか無理をせずに生きる方法について書いてある。文体も本当にシンプルだし読みやすいし分かりやすいし文自体にも全く”頑張ってる”感じがないので安心して読み進められた気がする。
読むことにこれほど体力を使わない文体はかなり珍しいのではないだろうか。バイトの行き帰りの電車に揺られながら読んでいたのだけど「あれ。もう読み終わっちゃった。」というのが読み終えた感想である。面白いとか面白くないとかよりも最初に「読むのが楽だったな〜」なんて感想を抱くなんて初めてだったからきっとそんなことを感じられるのもphaさんの文章の魅力なんだと思う。
あとphaさんのことを「ピーエイチエーさん」と発音していたんだけど表紙を見てみたら「ファ」と振り仮名が振ってあったことに今さっき気づいた。ツイッターの知り合いにピーエイチエーさんの本がね〜と紹介してしまった。まあでも本の良さに変わりはないからとりあえず読んでほしい。
できるだけ頑張らずにやりたいことをやってやりたくないことをできるだけやらない。そんなphaさんのような生き方はとても羨ましい。
私は昔から頑張ることが苦手だった。小学生の頃は習い事をたくさんさせられていたから学校で考えていたことはこの後の習い事いやだなあだし、休日もスポーツ系の習い事を2つもしていたので1週間通して嫌だなあという気持ちで過ごしていた。確かにあの頃やっていた習い事は役に立つことも多かったのだけど、今思えば小学生の時から頑張ることに疲れていたんだと思う。
小学5年生の頃どうしても頑張りたくなかったから授業を抜け出したり、先生とよく喧嘩をしていた。授業を抜け出すと怒られたし、先生と喧嘩したら怒鳴られた。なんでそんなことをするのかと聞かれたけど、話しても解決することはないと知っていたので誰にも本音は話さなかった。
そういえば高校生まで周りに本音を話すことは少ない人間だった。中学のとき通ってた塾の先生にはよく悩みを相談していたけど、それ以外の人にはいつも明るくて頑張り屋の自分を見せていた。周りにはそうしてれば褒められたし怒られることはなかった。苦しいことを胸のうちに抱えながらそうやって大人になってしまった。そもそも苦しいを感じやすいのもあるんだと思う。今でも努力すること、頑張ること=無理をすることというイメージを抱いてしまう。
だからこそphaさんの本を読みながら”頑張らなくても生きていける道を探す”選択もありじゃん。と少し胸が軽くなった。とはいっても全く同じようなことはできそうにないんだけど。それからやっぱりこの国に蔓延しているアップデートされてない社会の価値観、例えば「家庭を持たなければ幸せじゃない」とか「定年まで週5日1日8時間勤め上げなければ一人前じゃない」とかそういう古い価値観に私たちはズレを感じて苦しんでるんだなあと知ることができた。そういう価値観を押し付けてくる古い大人はいずれ死ぬからと言いきってるのが面白かった。
なんでこんなに頑張らなくちゃいけないんだろうという疑問を誰にも言わずに持ち続けていたんだけど、きっとそのズレを「感じちゃいけないもの」として捉えていたから苦しいことが多かったのかもしれない。本当は全然いいのに。ズレてても。
だからズレたまま頑張らずに生きていける方法を見つけたいと思った。何をすればいいのかは全然わからないけど。とりあえずphaさんの本をまた買おうと思う。