Road To 臥牛館
ヒトココチが臥牛館オーナーになるまで
音楽事務所から始まった
臥牛館を運営する「株式会社ヒトココチ」は、元来、音楽グループ「ひのき屋」の活動をプロデュースする音楽事務所として、メンバー自らが起ち上げました。ただひのき屋自体がなかなか異色なバンドで、大学時代に同じサークルで過ごしたメンバーが「もうちょっとこのメンバーで面白いことをやっていきたい」と、サークル活動のひとつであった和太鼓を武器に生計を立てていこうと始めたバンドでした。音楽を志してきたメンバーは一人もおらず、結成当初は「海外公演をやってみたい」だの「ゆくゆくは学校を作りたい」だの「自分たちのお祭りを作りたい」だの「いつかは自社ビルを持ちたい」だの、各々が好き勝手なことを口走っていました。そんなメンバーによって始まったバンドであり事務所なので、音楽に固執することなく、ノリと勢いに任せて「面白そう」と思うことを片っ端からやって来ました。
※今思えばその頃口走っていた『夢』らしきものは、いつのまにか実現していたようです。
コラム①
臥牛館との出会い
臥牛館との出会いは2014年。それまで何度か話題にあがっては立ち消えになっていた学童事業を、いよいよ本当に実現させようと物件を探しているときでした。いくつかの物件を当たる中、やはり臥牛館には何か惹かれるものがあったのでしょう。「学童クラブひのてん」は臥牛館1階でスタートすることとなりました。
※ひのき屋が学童を始めることになった経緯については追々。
コラム②
すべてのエネルギーを臥牛館に
ごく少人数の会員でスタートした「ひのてん」ですが、毎日毎日外で遊んでいる子どもたちの姿は地域の人たちの間でも話題にもなっていたようで、日を追うごとに会員は増えていきました。ひのてんに子どもたちが増えてくると、当然部屋は手狭になってきます。そこで新たに臥牛館のスペースをお借りして、子どもたちと一緒に「ひのハウス」というプレイルームを作りました。更にはそれまで函館市の郊外にあったヒトココチの事務所や「はこだて国際民俗芸術祭」の事務局も臥牛館に移転して、自分たちが注ぐすべてのエネルギーを函館西部地区に、臥牛館に集結させることにしたのです。
臥牛館オーナーへ
問題は家賃です。新たにスペースを借りるたび、当然ながら支払う家賃はどんどん嵩んでいきます。このまま家賃を納め続けるのがいいのか、いっそ新しい建物でも立ててしまった方がいいのだろうか、社内では実際にそんな議論もされ始めていました。まずはその状況を、懇意にしている当時の臥牛館オーナーに相談してみました。するとオーナーからは思いがけない提案をいただいたのです。
『それだったらこのビル、買いませんか?』
「まさかビルを買うなんて」とは思いましたが、自分たちでどんどん手を加えていった臥牛館に愛着が深くなっていたのも事実でした。こうして2022年2月。株式会社ヒトココチはカルチャーセンター臥牛館のオーナーとなりました。
『ビル、買っちゃいました』
奇しくもこの年はひのき屋結成25年目の年。25年の記念に何かやろうと話していたものの、ライブツアーはありきたりだし、今さら野外ライブもパッとしないし、ましてやコロナ禍だし。そんな中「結成25年の記念にビル買っちゃいました!」という言葉はインパクトもあり、なんだか面白いと思いました。臥牛館購入の決断を後押ししたのは、それも一つの要因かも知れません。
前オーナーの想い
前オーナーが臥牛館譲渡の経緯を率直に書いた記事があります(以下にリンクあり)。臥牛館を取得したときの想いから譲渡を決断したときの覚悟や心模様まで、その熱い想いに心を打たれます。現オーナーとなった私たち株式会社ヒトココチは、臥牛館に詰め込められたたくさんの想いや歴史を背負い、ココから魅力的な文化を発信し続けていこうと今日も奮闘しています。
合言葉は『トライ・アンド・エラー!』
コラム③
コラム④
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