見出し画像

さつま王子第2話その1


第1話はこちら


 プロというのは、かくも鮮やかな仕事をするものであろうか。王子の召集した総勢50名にもなる、さつま芋栽培のプロフェッショナルたちは、あれほど見事だった鉄鋼(有)の農地を一瞬にして埋め立て、更に見事なさつま芋畑を一瞬にして作り上げたのだから実に驚く。この仕事を見れば、この精鋭部隊がいかに凄まじいスキルを持っているかという事は一目瞭然と言うべきだろう。

 これは、無論、さつま王子の功績によるところが大きい。王子の人心掌握術と人を見る目は、この部隊のこのスキルの維持に大きく活かされているのだ。佐吉が純粋でバカだと思っているさつま王子は、実は大変計算づくで「バカ」を演じていた。バカのふりをして生きるのは楽なのだ。

 元より、自らは、王が一人しか子に恵まれなかった為、一人っ子として過大に期待をかけられながら、帝王学を学ぶを宿命づけられてきた存在だ。王子は10歳になる頃には、もはや、親や教師の知能を遙かにしのぐ聡明さをその身に宿らせ、その聡明な頭で、子供というのはバカを演じるのが一番だという事に気づいていた。

 さつまの国。とは、名ばかりで、元来、この地は稲の豊作地で、その稲の品質と収穫量によって国を富ませてきた歴史がある。かつては、薩摩藩と表記していた国の話だ。この国を「さつまの国」としたのは、現在のさつま王である。この現さつま王は、なかなかのかぶき者で、正室にポルトガル人(さつまママ)を迎え入れ、さつま芋という新たな作物に執心し、国を近代化へと導く大きな役割を担う事になった。

 この、さつま王による改革は、当然、幕府の知るところとなり、幕府は、さつま芋の栽培を制限すべく、さつまに役人を増派した。幕府とさつまは、その間、激しい対立を繰り広げ、戦争直前にまで至るのであるが、その中で、戦争回避のため、折衷案として生まれたのが「さつま特区」である。

 そこでは幕府の監視の下、収穫量の50%を幕府に納めるという条件において、その芋の栽培が認められるという理不尽がまかり通っていた。これでは、実質的に、さつまが、幕府の為に新作物の栽培を研究しているようなものだ。さつまにとっては大変、不利な条約だったと言えるだろう。しかし、王はそれを受け入れた。

 これに農民たちは大変な反発を覚える。何故なら、その芋の収穫が大半、幕府に穫られる理不尽さもさる事ながら、その年貢の多さにより、さつま特区で不当に利益を得ていた幕府の小役人どもが、その権力を散らつかせ、町に繰り出し、酒を飲み歩き、さらには村の作物や若い女たちにまでちょっかいを出すという事態に陥っていたからである。

 こうした事から国の中心を担ってきた稲作農家たちにとって、さつま芋の栽培は凶事でしかなく、その栽培の普及には、皆が懐疑の念を持っていた。

 そしてまた、さつま人でなく、ポルトガル人の妻をめとった王の行動も村人の不信感を増大させる一因として機能したのだ。こうして、国における、さつま王の求心力は一気に低下し、今や、さつまの国は荒れに荒れている状態になってしまっていた。俗に言う「さつま王の大失政」である。

 しかし、無論、これは、王の失政などではない。そうまでして、さつま王がさつま芋にこだわっているのは「さつま芋」という荒れ地でも栽培しやすく栄養価の高いこの新しい作物が、戦乱の世の中で国の胃袋を満たすセーフティーネットとして機能する事になると考えていたからだ。

 つまり、さつま王は戦を予感していた。しかも、それは、さつまと幕府の戦ではない、さつまと他藩ですらない、もっとスケールの大きい日本と他国との戦を予感していた。そこまでのスケールを、さつま王は、この幕末に見てとっていた。

 これにより、さつま王は、戦のはじまる前から他国と駆け引きし、密にやりとりし、この日本においても他藩や幕府に先駆けて、いち早く輸入作物を栽培し、日本という国に大きな利をもたらす事を第一に考えていたのだ。

 この情勢判断には、さつまという地が江戸から遠く離れ、異国の人間が多数、流入していた事とも密接に関係している。事実、その中で、王は、さつまママと出会い、恋に落ち、周囲の反対を振り切り、妻にめとるのだから、さつまにおける「異国」の大きさは計り知れない。

 さつま王子は、そのような状況下で生まれた子供である。日本とポルトガル、二つの血を引く者として、日本でも希有な存在として、国民の不審を一新に浴びながら王に至る道を歩まねばならない宿命にある。

 王子は、その責の大きさを思うと身がすくむようであったが、同時に面白いとも考えていた。王子は、自らの宿命を受け入れて、そのプレッシャーの中、12歳にして、国を変えていく決意をその身に引き入れた。これは、王の想像をも遙かに超える王子の才である。王子には、生来、逆境をたのしめる希有(けう)な性質が備わっていたのだ。

 その王子であるが、この件に関して、王のグローバルな政策の仕方を完璧に理解しつつも、しかし、そのやり方において、かなり懐疑的な面があるのは否めないと考えていた。そもそも、王とは、民に失政と思われてはダメなのだ。

 王子は、おそらく、これからの政治は、民の理解無しには成立することが無いだろうと考えている。民には、気持ちよく仕事の出来る人生を送らせること、それこそが全体の利得につながり、世界を調和する最もよい術(すべ)だという考え方だ。

 であるなら、民は、余計な事を考えずに、民の仕事をするだけで人生が過ごせるのが一番良いわけであるから、王たるもの、その行動に利がある事は当然として、その利を民に信じ込ませられなければ、民は安心して、その生を全うする事は出来まい。つまり、王子は、民に自らの利を信じさせることこそが、成功への、全ての民の幸せへの鍵となるはずと考えていた。

 このように、王子は、12歳にして、早くも王になる事を現実のものといった素振りで具体的に頭の中で描いていた。しかも、それは、実の父である王を失墜させてまで、自分の意のままに国を操りたいという強烈な欲望を伴う野心であった。王子のバカなフリは、その野心をひた隠すにも大いに役に立つ態度であったとも言えるだろう。

 王子は、その「子供」という特権的なカードを無邪気に使いあげ、現在の国を自らの手で荒れに荒れさせ、その反感を自らに命を下した王にも分配する事で、民による王への反感を高め、いずれ自らの手で王を引きずりおろす基礎としようと心の中で画策していた。そして、その上で、自らが民にとって都合の良い政策を遂行すれば、人心も自らに集まり、自らの才によって、よりよき世界が作れるであろうと根拠無き自信に浸っていた。

 しかし、これは流石に、王子の幼さ故の思い違いであると言うべきであり、「彼ら」や、また更に現れる別の「彼ら」を視野に入れていない「狭い」考え方であったと言えよう。しかも、このような野心は、王には、すっかりお見通しでもあった。王は、こうした野心を推進力として、王子がさつま畑を拡大すれば、それはそれで王の目的は果たされると考えていたのだ。その意味において、王は、流石に王子より一枚も二枚も上手だ。そこは、やはり、王は王。先代を引きずり降ろし、十数年の歳月をかけて、新たな国を作り上げてきた手腕は伊達ではないのだ。

 しかし、王に誤算があったとすれば、王子の目の前でさつま芋が爆発してしまった事にあるだろう。この1発の爆発が、王子とさつまの国の状況を大きく変えるのだから、歴史というのは面白い。そしてまた、その爆発を引き起こした張本人がいぶし銀次郎であった事も王の誤算の一つに数えられる出来事であり、銀次郎と王子との出会いがここで起こったということがまた、この爆発がいかに歴史的必然だったかを感じさせる出来事であった・・・・・

(つづく!)


注)この物語はフィクションです。実際の当時の薩摩藩や、さつま芋栽培の歴史とかなり違うことを書いていますので、ご了承ください。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?