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穴があったら埋めてみたい(学問)

『歴史人口学の世界』(速水融、2012、岩波現代文庫)という本はエキサイティングな本だった。
 
歴史人口学というのは、人口に関する統計が存在していなかった近代以前の人口分布がどのようになっていたのかを、使用できるあらゆる史料を照らし合わすことで明らかにしていく、気の遠くなりそうな学問らしい。
その歴史は比較的新しく、第二次世界大戦後のフランスで成立した。その頃のフランスでは、19世紀以来出生率が下がっていたためにヨーロッパ諸国に比べて生産年齢人口が減ってしまっており、それはなぜなのかを歴史的に解明することが課題となっていた。

この課題に取り組んだルイ・アンリという人物は、キリスト教圏で作成される「教区簿冊」という史料に注目した。
「教区簿冊」とは、「教区民に牧師が洗礼を授ける、あるいは結婚に立ち会う、あるいは死亡した場合埋葬する、それらを毎日記録した年代記的な帳簿」のことで、「出生、結婚、死亡という教区民の人生の始まりから終わりまでの出来ごとが、教会の記録に書かれている」のである(41-42頁)。

ルイ・アンリは、ここに記録されている一人ひとりのの名前をつなげるという作業を行った。
つまり、何年に生まれたグベール家のピエールは、30歳の時にフランソワーズと結婚し、2~3年経つと子どもが生まれて、ルイと名付け、さらに2~3年経つとまた子どもが生まれたが、この時既にルイは死んでいた、というように、一人ひとりのデータをつなげることを、多数の教区について行った。

こうして一組の夫婦ごとにデータのシートが作成されていくが、この作業は「家族復元」と呼ばれる。

速水は、この家族復元によって「歴史人口学が、まさにひとつの研究分野として誕生したのだといえるでしょう。」と述べている(44頁)

つまり国勢調査も何もないところに、そういう教会の記録を使い、そして家族復元法によって史料整理を行い、少なくとも結婚と出生に関する情報を集め、分析することができるようになったのです。場合によっては死亡もわかります。つまり生まれてきた子どものなかで、早く死ぬのが何人いるとか、そういうことも分かりますから、少なくとも出生、結婚から死亡の一部、これは分かります。それから、結婚に際して当人のサインの有無から、庶民の識字率についての情報も得られるようになったのです。

『歴史人口学の世界』(速水融、2012、岩波現代文庫、44-45頁)

こうして、歴史人口学の知見は、歴史学や人口学に対して影響をもち、両学問を活性化したという(結局、なんでフランスの出生率が下がってしまったのかについては記述されていたなかったが、きっと明らかになったのだろう)。

学問の穴

学問には、「Aを知るにはBが分からないといけないけど、肝心のBが分からない」、あるいは「Cさえわかれば、D、E、Fといったいろんなものがわかるようになるのになあ」というような、研究を進める上での「穴」があると思う。十分な知見によってこの「穴」を埋めて、その先に渡れるようにするのが、理想的な研究だろう。
歴史人口学の家族復元法は、まさにそういう「穴」を埋めたのであり、「穴」が埋められたことでその後の諸学問の発展が促されたのだと思う。
これは素晴らしいことだ。
そういう「穴」があったら、入ったり入れたりするのではなく、埋めてみたいものだ。

年縞が埋めた穴

去年行った福井県の年縞博物館は、建物がきれいなのもよかったが、なにより年縞というものを知ることが出来てよかった。
これもまた学問上の穴を埋めた存在だと思う。

年縞博物館

考古学の出土品調査で、それがいつごろのものなのかを探るために放射性炭素を使って調査が行われ、だいたい何万年前とかいったことが推定されているのはなんとなく知っているが、その方法は決して完ぺきな精度があるわけではないそうだ。
1000年単位でもわかればすごいんじゃないかと思うが、福井県にある水月湖という湖の年縞が、1年単位での特定を可能にしたのだそうだ。

年縞が何かというと、湖の底にたまる泥の層なのだが、通常は生き物の動きや水流の影響でそんなにきれいに溜まるわけではない。
しかし、水月湖では奇跡的な条件が重なり、7万年分の層がきちんと積み重なっており、その層を分析することで、たとえば「5万4371年前なら放射性炭素量はこうだ」ということがわかるようになったのだそうだ。

これによって救われた研究者もいれば、用済みになってしまった人もいるかもしれない。たぶんそれくらい大きな穴を埋めた知見だと思う。

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