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【掌編小説】ボイズ

有野戸 渡(ワタル)には考えるフリをしながら寝ること以外に、もう一つの特技があった。
それは声色一つで人を動かしてしまうことだ。
勿論、一朝一夕に身につけたものではなく、学生時代インドの山奥で三ヶ月修行した末に身につけた術である。
f分の1の揺らぎを利用したものらしいが、詳しいことはこの術の使い手以外は誰も知らない。
この術の使い手達はこの術の名をボイズと呼んでいた。

今日はトリスさんとデートの約束をしている。
駅前の商店街にある洋食屋さんに向かった。
商店街に入ると向こうから柄の悪そうな兄ちゃんが歩いてくる。
立ち去ってくれと思っていると案の定絡まれた。
「おい、あんちゃん。何ガン飛ばしてくれてんねん!」
と言うと歩道に立ち塞がった。

渡は静かに言った。

「ちょっと、道を開けてくれないか」

すると、柄の悪そうな兄ちゃんは顔をこわばらせながら、スッと歩道の端に寄り、道を開けた。
ガクガクと震えている。

渡は何事もなかったように歩道を進んだが、少し後悔していた。
この術は悪戯に使ってはいけないとインドの師匠から言われているのに、またボイズを使ってしまった。
それにこの術は一対一でしか効かないので、相手が二人組だったら太刀打ちできないところだったのだ。
これからは安易に使わぬよう、もう少し気をつけようと...。

しばらく歩くと、商店街の奥にあるハーゲイという名の洋食屋に着いた。

カランカラン♪

奥のテーブルには既に栗栖川トリスが座っていた。
「トリスさん、ごめん待った?」
「いえ、でも今日は渡さん遅かったわね」
「今日はいつもの裏筋の一本道が工事中で使えなかったんだ」

ハーゲイのマスターが来たので、渡はビフカツランチを、トリスはミックスランチを注文した。

ふと隣のテーブルを見ると青木田文具店の店主・青木田さんが一人でハンバーグランチを食べていた。
渡がペコリと会釈だけすると、青木田さんも無言で首を縦に振り、またハンバーグを食べ始めた。
この二人には余り関わりたくないのだろう。

「トリスさん、今日はこの後バイトがあるんだ。ごめん、映画はまた今度にしよう。」
「え〜、渡さんとの今日のデート、楽しみにしてたのに...」
「僕も楽しみにしてたんだ。だけどどうしても休めなくて...」

渡だってトリスとは一時も離れたくなかった。
しばらく悩んだ渡は静かにこう言った。

「今夜、僕の部屋に来てくれないか」

「ハックショーン!」
隣のテーブルで青木田さんが大きなくしゃみをした。
失礼した、と軽くナイフを持った手を上げている。

「何時ごろ?」とトリスは尋ねた。
「夜10時にはアパートに帰ってるよ」
「考えておくわ」
「約束だよ」

二人でランチを楽しんだあと、渡はバイトに出かけた。

◇◇◇

バイトを終えアパートに帰ると渡はすぐにシャワーを浴びた。
そしていつもより丁寧に全身を洗った。

渡はトリスが来ることを確信していた。何しろ今までにボイズが効かなかった相手はいない。
この術を習得したころ犬に試してみたら、犬が木に登ったくらいだ。

ピンポーン!

「あ、トリスさんが来た!」
渡は玄関に駆け寄りドアを開けた。

「なんで!?」渡は唖然とした。

「来ちゃった。」
頬を染めながらドアの前に立っていたのは青木田文具店の店主・青木田さんだった。


(きゃうん)



また今度!



えっ!ホントに😲 ありがとうございます!🤗