見出し画像

ゴミ袋と共にお遍路へ行く

瀬戸大橋で日の出を迎えようと、朝暗いうちに自宅を出発。高速に乗って一息ついてふと助手席を見たら、ゴミ袋が。。

慌てて出発してステーションに降ろすの忘れた!
どうにかできないか考えてみたけど、次に高速降りるのは四国。兵庫のごみを四国に捨てるわけにもいかず、諦めてそのまま一緒にお遍路さんすることにする。予定通りに瀬戸大橋に着いたけど、天気はどんよりしてて日の出は無し。私の心もどんよりしたまま四国に入る。

私がお遍路さん始めたのは父が亡くなってからなのだけど
「かれこれ20年もかけてお遍路さんをやっている」
札所から札所への暇な時間に思い出すのは、小学校の時に亡くなった鉄之助じいちゃんのことが多い。最初に立ち寄ったサービスエリアでまた飴を買ってしまった。四国に来ると普段食べない飴を買ってしまうことに気が付いたのはごく最近。もう記憶にない幼少時にお接待で飴をもらったに違いない。おじいちゃんと四国に来た記憶は微かにある。

祖父は吉野川河口の近くの生まれで、次男坊なので代々札所のお寺の住職になるはずが、坊主なんてやってられるか!と言って大阪に出てきたらしい。
でも真言宗の教えは身についていたらしく、幼少時の我が家は朝晩8つもの影膳をお仏壇に供え、しょっちゅうお寺さんやご詠歌をあげるおばさんたちが訪れていた。三つ子の魂百までってほんとによくできた格言だと思う。私も嘘ついたら閻魔さんに舌抜かれるとか本気で信じていたし、なんかあったらお大師さんにお願いするのだと思っていた。幼稚園もお寺だったし、大人になってもお寺は大好きで、小さな子供2人を連れてよくお寺に行った。子どもは自分が遊びに行くのにまさか預けられないし、仕方ないからつれていったのだけれど、息子が大学生になってお昼を食べようと待ち合わせした時、その前に大徳寺さんへ寄るからっていたら、のこのことついてきたのでビックリした。息子はお寺好きに育っていたのだ!

実は娘も今お遍路さんをやっている。なんとなく始めたそうだが、久しぶりに会って話した時に、次は同じ地域を回るのがわかって、現地集合してお宿は一緒に泊まることにした、宿だけ。前回二人で旅行した時に出発直後に口論となり、お互いもう嫌だとなって引き返した経験があるから。

松山以西の高速道路は初めて走る。車線も少なくなってトンネルは暗くてかなりの高低差がある。しばらく走ってたが、一般道に切り替えることにした。なんといっても風景があるってのはいいことだ!順調に回り損ねていた西予の3札所へ。もうここら辺はすっかり春で、梅や菜の花が迎えてくれる。
お昼は道の駅でいただくことにしたが、ここで初めて人類と2m以内に接近。衝立の向こう側でお食事してた人。私はお遍路するためにけっこう厳しい自己規制しているのだ。直前10日間もお遍路中も人類と接近しないように心掛けている。でも愛媛の感染者数は限りなく0に近いから、まっいいか。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?