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Short term memory, Long term memory

本の読み方は変化する。自分の中で理解できたらページを進めることができるけど、できなかったら読めていると感じない。

理解できていると感じるとき、本の中に入り込むことができる。本の中の世界が頭の中に具現化されたり、登場人物の感情と100%のマッチを起こす。現実世界でも、あの本の中は現実だったらこんな感じだろうと想像できる。

小学生の時の読書はどうだったのだろうか、かいけつゾロリからこまったさんまで読んでいた。挿絵もあったし、想像にたやすかった。いつ頃から、文字だけの小説を読み始めたのか覚えていないが、赤川次郎で興奮していたのは覚えている。

本の内容が分からなくても途中でやめることは少なかった。なにか負けた気がして嫌だった。ジャケットで適当に本を決めるから、高校二年の年に、『スウィングしなけりゃ意味がない』を手に取って、甲子園球児の物語と思って読んでいたら、第二次世界大戦ごろのドイツの青春物語で混乱した覚えがある。内容なんて一ミリも覚えていないけど、咬たばこかチューブかなんかでハイになってトイレでセックスしている描写は鮮明に覚えている。

村上春樹の『風の歌を聴け』を英語で読んでいるのだけど、全く意味が分からない。とりあえず、だらだら読んでみる。集中しないと記憶できないと思い込むのは良くないことだ、基礎はできているのだから、全身を使って中身の理解に取り組もうと思う。流し読みが嫌いで本を最後まで読むことが義務のように感じていた。もちろんそこから得られたことは十分にあるけど、損切も大事だから、どこで切るかをちゃんと把握できるようになる。


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