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「いい子ちゃん」って、大事???

 学校教育では、成績も学校内のモラルにおいても、「正しくないといけない」「(成績が)高い方が素晴らしい」というステレオタイプに誰もがとらわれている気がする。また、小学校から大学までストレートに進み、就活をして就職して60歳前後まで働くといった道ができてしまっていることも、もっと問題提起をしたい。私は、そこにはっきりと違和感を持ったのは、恥ずかしながらも大学生になって教育学を学び始めてからである。

 義務教育を受ける9年間、平日は一日のほとんどを学校で過ごしている。その中で、勉強をすることだけが高い価値を与えられるのはまだまだ学びが薄いように感じる。だから、もっと「自分らしさ」が発揮できる環境に学校がなればいいといい強く思う。

私の言う「自分らしさ」とは、                    ①言いたいことが言える、受け入れてもらえる               ②やりたいことがやれる、受け入れてもらえる             ③「ダメなことはダメ」「違うことは違う」と言ってくれる仲間が周りに      いて、自分の考えを洗練できる環境にいている                                             

 の3つだと考えている。周りに合わせるといいこともあるが、同調圧力に負けて周りと合わせていくと、自分軸を見失い途方に暮れると思う。「自分らしさ」を発揮できる場をつくるには、自分が他者を認め、他者が自分を認めるといった認めあえる関係性になればと思う。そのためには、自分のやりたいこと・言いたいことができることが前提だと思う。

 学校教育において、最初は教師主導で学力以外の評価軸をもっと認めて、スポーツでもアートでもミュージックでもどんなことでも認めていくことをするといいと考える。自分の学びたい・追究したい事柄を深めて考えていく時間を確保し、それを周囲の人も認めあえることを目指していきたい。苫野一徳先生が記された『学校をつくりなおす』で、「探究」を学校教育の中心に置くことを提案されていた。私もこの考え方にとても共感し、そのような学びを保証できるような教員になりたい。


 最近のnote、いつも自分の教員になってからの宣言で終わってる気がする…

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