学校に着ていく服を自分で選べない子がそのまま大人になった結果
ちきりんさんが『自分の意見で生きていこう』の中で書いてることなんですが、
自分のアタマで考えずに生きることは、人生の満足度を大きく下げるんですね。(実際にはたしかそのように書いてないけど、僕はそういう意味だと理解しいる)
どういうことか?
自分のアタマで考えないということは、主体性を持たずに生きるということなので、まあ要するに受け身で生きてる状態なんですね。
受け身で生きてると、自分では何も決めないわけですから、流されて生きてるということになります。
こういう生き方は頭を使いませんから、とてもラクなんですよね。だからつい、人はそっちに流されがちになります。
しかし、これには落とし穴があります。
それは、いつの間にか自分で考えて行動していないことに気がつかなくなるということです。
つまり、流されて生きていることに気がついていない状態になる、ということです。
これの危なさ、わかりますか?
いつの間にか、自分の人生を生きていないのです。
生きてるようで、生きてない。
それが慢性的になってくると、謎の不満感に苛まれるようになります。
なぜだかわからないけど、何かが不満、何かが足りない。モヤモヤする。そんな状態。
なんとなく晴れない気分を晴らすため、とりあえず同僚と飲みにいき、愚痴を吐くようになる。
そんなことで無駄に過ごしてしまったと感じ、充実感がなくなり、生活に張り合いが無くなる。
でも、なぜそうなったのか、わからない。
これは少し前の僕の姿です
そんな生活ですから、仕事での評価も上がりません。
いつの間にか、同僚からは置いていかれ、デキる後輩が抜かしていきます。
そして思うのです
「こんなはずじゃなかった」
これは少し前の僕の話。
なぜこうなったか、当時はわかりませんでした。
焦りと不安と不満ばかりがつのっていきました。
なぜこうなったのか?
それは自分のアタマで考え、主体的に生きてなかったからです。
受け身で生きてるんですから、思うようにいかず不満になるのは当たり前だったんですね。
”自分以外の何か”に、人生をコントロールされているのですから、そりゃあ不満でしょう。
しかも本人は、コントロールされていることに気がついていないのです。
これが、謎の不満感の正体。
人に合わせられるぼく、えらい
これって、僕に限ったことではないと思うんです。
いつも人に合わせてしまったり、意見を求められても黙ってしまったり。
僕は、人に合わせるのは良いことだと思って生きてきました。
もちろん、空気を読んだり協調性を持っていることはいいことです。
ちゃんと人の意見を尊重できるぼく、えらい!とか思ってました。
でも実はこれ、逃げてただけなんですよ。
ラクだから。自分で考えなくて済むから。
尊重してるんじゃなくて、考えてないだけ。
一事が万事です。こういうクセが付くと、自分の意見というものが持てなくなるんです。人生の全てにおいて、ですよ。
自分の人生に意見がないって、かなりやばくないですか?
でも、これが僕に起こっていたことです。
そりゃあ、自分が何をしたいのか、それすらもわからなくなりますよね。
自分で考えずに人に合わせ続けて生きてきた、というのが原因にあります。
では、人に合わせて自分で考えなくなったのは、どこにルーツがあるのか?
引越しにて
話がとびますが、今日引越しだったんですね。
で、引越し業者を頼むのは高いんで、レンタカーを借りて自力でやることにしました。
自分一人でもできたんですが、母に手伝ってもらったんです。
はじめは母が手伝うの断ろうかと思ったんですが、なんか働きたいんだろうな、と思ったのであえて頼みました。(結果的に大助かりでしたが!)
なぜ母の話が唐突に出てきたのかというと、実は僕、母に苦手意識を持ってたことに気がついたからなんです。
もちろん嫌いじゃないし関係も良好なんですけど。
苦手意識というのは、潜在意識に近いとこくらい、深いあたりにあるもので。
だからはっきりとは自覚していなかったんです。
今朝、母が来るな〜と思って、なんとなく少し身構えてる自分がいることに気がついたんですね。
(あれ?少し気が重い・・・これは一体・・?)
朝のまどろみの中で考えると、結構ひらめくものです。
(ああそうか、小さい頃いつも、僕のすることが否定されてたんだ)
ファミレスに家族で行ったとき、僕が「これがいい!」と言うと、「そんなん食うんけ、おーヤダ」みたいに言われたり、
洋服を買ってもらうとき、僕「これがいい!」
母「あー?そんなのがいいんけ?」
アスレチックにて。
僕「あれやりたい!」
母「あんなのがいいんけ?あれはもっと小さい子がやるんだよ」
こうやって育った僕は、いつの間にか自分で選べなくなっていました。
小学校高学年で、毎日着ていく服を自分で選べないんですから!
母が嫌いなわけではありません。
毎日おいしいごはんを作ってくれたし、僕が大学に合格したときは本当に自分のこと以上に幸せな顔をしてくれました。
だから何も不満はありません。
ないのだけど、それだけに、僕の”人に合わせてしまう症候群”を、母のせいにしたくなかったのかもしれません。
今朝感じたわずかな気の重みは、幼きころの記憶でした。
今回の引越し先はシェアハウスなので、そんな変わった物件に住むことは、ほぼ間違いなく否定されるだろうな、と思いました。
「はあ〜?おっかしいんじゃね?」
うんうん、きっとそんな風に言われるな。
でもね母さん、もう僕は大丈夫だよ。
そんな風に言われることもわかってる。それが悪意でないことも、十分わかってる。
そしてなにより、僕は自分の意見を、今ならきちんと言える。
少しは大人になったんだ。
あなたがもし”人に合わせちゃう症候群”だったら
あなたがもし、僕と同じように、人の意見に流され合わせてしまう症候群なら、そのルーツはどこにあるでしょう?
なぜあなたはそうなった?
人に合わせることができるのは、やさしい人だと僕は思うんです。
その優しさを育てた環境は、必ずあったはず。
しかしそれは同時に、あなたを受け身の呪いにもかけてしまった。
あなたがもし、主体性のない人生を変えたいを願うなら、ちょっと朝にでも、ノートに書いて考えてみてください。
自分の意見を持とうと努力し始めると、ほんの少し、寛容になれる気がします。
昔の僕は、母から否定されると反発して強く言い返していました。
だけど今日は、「へーそう思う?」くらいに、穏やかに自分の意見を言いました。
反発して人の意見を変えようとする必要はないからでです。
それは、自分の意見に自信があるから。
ちゃんと自分で考えて決めたから。
主体性を持って生きることは、寛容になることにつながります。
そうして心が穏やかであれば、人生の満足度が高くなるのかもしれません。
あ、ちなみに今日のランは30分、5キロだけ。
引越しで疲れたんで。お後はサウナでとっとのう〜〜
毎日ラン継続37日です。
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