努力万能論は変わってきているか?
2013年10月21日 為末大さんが下に引用のツイートしたあたりから、なんとなく世間の”才能”に関する認識が変わってきたような気がします。
どう変わったかというと、「成功するかどうかは才能の有無による」ということです。
それまではたぶんだけど、「努力は才能に勝る」的な発想が当たり前だったように思います。
この為末さんのツイートによってたくさんの人が絶望し、怒る人もいました。
「指導者として努力は報われると教えないことは問題ではないか?」
「いくら努力しても才能にかなわないなら絶望するしかない」
こんな具合です。
しかしどうでしょう。
僕は全く逆で、むしろ安心したというかホッとしたんですよね。
「才能で決まってるんか、じゃあしょうがねえな」と思うんです。
才能の前にはかなわない——これって、うすうすみんな感じていたことです。だけど、これを口にすれば絶対に批判されるから、たぶんみんな言えなかった。
指導者は努力次第で逆転できる的なことを言うけれど、やってる側としては「ウソつけ!」とずっと思っていました。てか、教えてるあなただって、だったらなぜ逆転してプロ野球選手になっていないんですか?と言いたい。
まあそれはいいとして、はっきりと「成功するかどうかは才能だ」と言われてしまった方が、本人としても気持ちがラクだと思うんです。
少なくとも僕はそうです。
だって、「成功できないのは、自分のせいじゃない」と思えるから。
「君がうまくいかないのは、才能がないからだよ。」
それはつまり、単に”向いてない”と言う話です。
向いてないとはっきりさせてもらった方がいいですよね、どう考えても。
向いてないのなら、向いてそうな方にシフトすればいいし、それは自分の才能を探すポジティブな行為です。
したがって、「成功するかは才能次第」と言われて怒る人、絶望に暮れる人がよくわからない。
だったら今までの努力がムダになるじゃないか、というのか?
そうだ、ムダだ。だからこれ以上ムダな努力しないために才能がないとはっきりしてもらった方がいい。
才能がなくてダメならしかたないけど、努力不足でうまくいかないのなら、もっともっと頑張らなきゃならないんだよ?努力すれば成功するなら、今まで何してたの?という話になってしまうし。
そう言われた方がキツくない?
「お前の努力が足りないからだ!」って成功しない間ずーーーーっと言われ続けるんですよ?
つまり、お前の人生が冴えないのは全て自己責任だ、ということ。
それはしんどいと思いますよ。
才能である程度決まってる、と世の中で共通認識されているほうが、より多くの人が幸せになれると思います。
才能(向いてること)は誰にでもあるからです。
それなのに、本人の努力次第で人生いくらでも思うようにできる、ということがいまだに信じられているし、もともとダメなヤツが愚直に盲目的に努力することが美談のように語られる。
だんだん変わってきているとはいえ、まだそういう空気は強い。
それだと逆に、本当はどこかに埋まっているその人の才能を発見するチャンスを減らしてしまいます。
今の小学校中学校あたりではどんな指導がされてるかはわかりませんけど、いつまでも”努力万能論”だけではダメだと思いますよ。
もちろん努力は大切です。才能があっても努力がないと開花しませんから。(努力という言葉は使いたくないけど、能力を伸ばすための行動、と捉えてほしい)
しかし、努力は使いどころだと思います。
なんでも叶うわけではないし、頑張っても報われないこともある。
そういうことを、ちゃんと指導できる先生ってどれくらいいるんでしょうかね?
記事が1ミリくらい良かったら100円ください