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filial piety

さて、先週末、松本で両親と待ち合わせしてそこから新村、波多、新島々、稲核、奈川渡、沢渡、釜トンネル、平湯温泉、高山、飛騨、南砺、北陸道で金沢、野々市と息子のところへ。

2016年2月以来だから8年ぶりに親を孫に会わせた。まずこれが第一親孝行。しかし稲核~平湯温泉区間の新緑も素晴らしく、ナイストラベル。天候視界も極めて良好。

野々市ではもりもり寿司にて昼食。回転寿司ながら海産物美味い金沢から程近くレベル高し。北海道よりは劣るやも知れぬが長野や山梨感覚だと極めて魚介レベル高し。ガス海老の握りがハイライト。
そこから息子に別れ告げて父の故郷富山県へ。息子は入学祝の追加貰えて収穫もあり満足であったろう。直接話して知ったのはサークルは軽音サークルに入部予定とのこと。

北陸道で途中薬師岳や立山連峰(劔や毛勝三山なども勿論)がくっきり夕方に見えて最高。途中停めて田んぼの辺りから撮影したり。八尾町天満町に到着。伯父は脳梗塞もやって随分衰え(認知機能含め)
ということであったが存外しっかりしていた。賑やかな人であったが確かに喋らなくなっているが、話を聞くと頭ではかつてとおなじように考えていても伝えるトランスファーが衰えて、無理して伝えるのもしんどくなり喋らないのだと。それだけ自己分析できていれば逆にしっかりしていて安心という風情であった。

その人の長男(吾輩の従兄)の方と会食では席が隣になり歓談。地酒「立山」も手伝いかなりトークは盛り上がった。従兄の方は教員をずっとやってこられて最後は校長も歴任され今年60になり退官された。しかし嘱託として後進の育成に現在あたっておられると。
やはり教師も民間企業もコミュニケーションが大事という部分や、最近の新卒者はせっかく教師や会社員なっても嫌になると簡単に辞めて「あくまでも踏み台」として自身のキャリアアップの一通過点のように考えている人が多いという部分で、わしら50超えのオッサンたちからしたらけしからん、という部分で凄く共感した。まぁけしからんというより「勿体無い」という感想ですが
従姉の人もいて懐かしかった。その母(叔母さん)は面影あるが白髪で少し小さくなりイメージ変わった。24年ぶりくらいだから。ゆうゆう館という富山市もしくは八尾町の公共宿泊施設にて快適に宿泊。ワシは運転手も務めたゆえ宿泊費は両親に出して貰えた。

翌朝も山友達の父親と立山観に近くの城ヶ山公園へ。曇りであったが山の視界は良好でGOO。

2日目は父親の本家挨拶と父親の母方実家挨拶。どちらも子供の頃何度も行っており記憶はあるが、しかし当時の見てた記憶と実際に見え方は大きく異なっていた。子供の身長と大人身長目線の違いと記憶の書き換えによるものであろう。どちらも男性陣は亡くなり、父親の従姉妹のあたる(片方は従兄弟の嫁さんだが)しか残っておらず。しかしどちらもワシのこともよく覚えていてくれた。ワシは正直、小学生、中学1年くらぶりゆえその人たちの顔の記憶はないが。しかしルーツの話、遠縁の方の近況も聞けたりほっこりはした。
しかし父親も81だし親戚はもっと高齢も多くて今回が最後の訪問との思いで父親は訪れていた。東京〜富山は遠いから、なかなか今回のような機会がないと行けないから。

その後。富山駅のお土産店で購入。昨日は親戚回りの手土産を金沢駅で親は買っていた。

金沢駅は新幹線も停まるようになり大きくオシャレだな。

さて富山市あとにして飛騨高山向かう途中昼食は天下一品(富山オンリーではない、しかし両親は初めてで結構感動していたよう)
深山幽谷の神岡~飛騨高山~平湯は少し雨がちだが逆に深山幽谷の風情もあり、
松本で両親おろして特急あずさに乗せる予定が時間うまくあわず結局上田まで行き新幹線で帰ってもらった。

これは親孝行旅行だ。2日間で550KMほど走破したが2日間だから大した距離でもない。






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