26.特殊健診の落とし穴
特殊健診は多くの企業で実施しており、どのような方に健診を実施するか、健診結果を判定するなど関与する機会は多いと思います。本記事では、その特殊健診の落とし穴についてご紹介します。なお、本記事における特殊健診には、便宜上、特定業務従事者の健診や、行政からの通達により指導勧奨されている健康診断、当該法令に基づく健診などを含みます。
早期発見という落とし穴
特殊健診の目的を「早期発見」と捉えている方は多いかもしれませんが、実際にはそれは目的の1つでしかありません。特殊健診の主な目的は「残存リスクの評価と制御」です。この目的を理解するためには、まずは有害な業務を行う以上はリスクはゼロにならないということが前提として非常に重要です。そして、作業環境管理、作業管理などの対策を行ってもゼロにならないリスク(残存するリスク)を評価し、他の対策にフィードバックすることで残存リスクを制御することが特殊健診の役割です。「早期発見」が特殊健診の主な目的であると誤解すると、異常所見者数で特殊健診を評価してしまうという落とし穴に陥り、異常所見者数がゼロだから大丈夫なのだ、という誤った判断になってしまいます(後述)。
あくまでイメージですが、有害作業を行う上で、もともと100あったリスクを、作業環境管理で50に、さらに作業管理で20まで減ったとします。この流れにおいて、特殊健診の役割は残った20というリスクを減らすということではありません。特殊健診自体にはリスクを減らす機能はありません。特殊健診の役割は、残存リスクが20であることを評価し、安全衛生対策にフィードバックすることで100あったリスクを作業環境管理で40に、作業管理で10に、さらに安全衛生教育にもフィードバックすることで、残るリスクを許容できる5まで下げるというイメージです。例えば、特殊健診を行うことで、実は作業環境に粉じんが堆積して舞っていることがある、保護具を装着していない時間がある、手順書通りに作業を行なっていない、現場に行くと頭痛がする、症状はないが尿中代謝物質に異常所見があるといった情報が得られます。このようん作業環境測定結果には現れない情報も多く含まれます。しかし、特殊健診を実施した時点では、単に残存リスクを評価しただけになります。得られた情報から安全衛生対策をフィードバックをして、対策を改善することで残存リスクを減らす(制御する)ということになります。上記の例でいえば、堆積粉じんをなくす、保護具の装着を徹底する、手順書通りの作業を行う、嘔気をきたすような有害要因がないか現場を確認する、隠れた有害物質曝露がないか確認する、といったことです。これらの対策を強化することで、次の特殊健診において症状を呈する作業者が減ったり、尿中代謝物質が減ったりするわけです。安全衛生管理をどう強化したところ、その作業をやらない、有害物質を扱わない限りは、リスクは絶対にゼロにはできないことにも注意が必要です。(※リスクはこのように数値化できるものではありません)
一般健診で職務適性評価の落とし穴
一般健診は、働けるかどうかを評価するために行っている、というのは決して間違いないのですが、実際にはどんな業務に従事しているか分からないのに働けるかどうかを評価するのは困難ですよね。産業保健が目指している「適正配置」とは、仕事と働く人とのマッチングを図ることにあります(適性配置ではありません)。一般健診は働く人側だけしか評価していないわけですから、適正配置を図ることはできません。一方で、特殊健診とは有害業務に応じて健診を実施するわけですから、本質的な「適正配置」として行っていると言えます。
なお、この際には、仕事だけではなく、働く人側にもアプローチするという考え方も重要です。つまり、仕事(有害業務)に対して人を配置する際に、特殊健診を行うことで、職務適性を評価し、必要に応じて事後措置を行うことも特殊健診の役割なのです。有害性のある業務については、その業務に対して労働者が感受性が高くないか、脆弱性がないかを評価し(下表参照)、その業務ができるのかどうかを検討する必要があります。
「作業条件の簡易な調査」なき特殊健診という落とし穴
現状では一部の特定化学物質の特殊健診の一次健康診断の検査項目として、「作業条件の簡易な調査」の実施が規定されています。
2020年3月3日の法改正により、7月1日より「作業条件の簡易な調査」は必須となりました(『労働安全衛生法における特殊健康診断等に関する検討会』の中でも、原則的に、「作業条件の簡易な調査」を行うことが示されていました)。特殊健診において、残存リスクを評価するためには、これらの問診事項は必須であると言えます。しかし、実際には「作業条件の簡易な調査」を行い、その内容を活用することは容易ではないと思います。なぜかといえば、これまでに行っている特殊健診自体が十分に理解されていないからであり、「作業条件の簡易な調査」の情報が加わっても、安全衛生活動に活かされないと思われます。事業者や従業員のみならず、労働衛生機関(健診機関)側の関係者が同じような理解ができていないといけないのです。現状の特殊健診の多くは、盲目的に実施されていることが多く、「作業条件の簡易な調査」が追加されてもいまいち活用されないように思われます。ただ本来は、「作業条件の簡易な調査」による詳細な情報はとても重要なものですので、産業医としても、この情報を適切に参照して、特殊健診の目的を達成するように取り組むことが望まれます。
過去の健康障害という落とし穴
特殊健診で分かるのは、これまでに受けた曝露によって起きてしまった(起きている)健康障害の徴候・所見です。これは特殊健診という時点からすれば過去の話です。特殊健診は、残存リスクとセットで、起きている健康障害を評価することで、今後起こりうる健康障害を起こさないように残存リスクを制御することが非常に重要であるという話をしましたが、これは特殊健診時点から未来の話です。理想論としては、特殊健診で健康障害を認めないことがもちろん望ましいのですが、認めてしまった健康障害(早期発見)はあくまで過去のものであることに理解が必要です(当たり前と言えば当たり前ですが)。
急性障害の落とし穴
有害作業・有害物質によっては急性の健康障害が致命的になりうるものもあり(熱中症、酸欠、硫化水素中毒、失明など)、そもそも特殊健診の場面だけでは健康障害を十分に評価できないものもあります(参照「熱中症対策の落とし穴」)。早期発見を目的にしてしまうと、これらに特殊健診を行う意味が見いだせなくなります。だからこそ、「作業条件の簡易な調査」の情報を参考するなどして残存リスクを評価して、そのリスクを制御するということになります。
受診勧奨の落とし穴
特殊健診を早期発見・早期治療が主目的であると認識している方にありがちなことは、特殊健診は異常所見を有す労働者を発見し、受診勧奨し医療に繋げることが重要である、と認識してしまうことです。しかし、実際には特殊健診で受診勧奨するケースはあまり多くないことや、早期治療に繋げるといったことはほとんどありません。特殊健診結果から受診勧奨して医療に繋げる目的は、再検査や精密検査などにより「業務起因性」を判断することが主になります。そして、業務起因性が疑われる場合の対応は、当該有害作業によって健康障害が引き起こされているということなので、当該有害作業を見直すことによる残存リスクの低減や、当該労働者の配置転換といったことになるでしょう。もちろん、治療を行うといったこともあり得るでしょうが、特殊健診の受診者は無症状もしくはあっても軽微な症状しか有さないことがほとんどでしょうから、その状態から治療を行うといったことはまずないでしょう。騒音性難聴のように不可逆性変化もありますし、吸入してしまった有害物質を回収・体外に排出することもできないような暴露もあります。
異常所見ゼロの落とし穴
特殊健診を目的を「早期発見」とした場合、特殊健診で異常所見がゼロであれば、その目的は達成されてしまうため、そこで満足してしまう方も出てきます。実際に、特殊健診の報告書を事業者や安全衛生担当者が確認する際に、異常所見者数だけで評価されている、といったケースも往々にしてあります。しかし、前述の通り特殊健診の目的は「残存リスクの評価と制御」ですので、特殊健診で評価されるべきことは「残存リスク」です。異常所見者数や有症状者数は残存リスクを反映した一つの指標に過ぎません。特殊健診は、残存リスクを評価してリスクが十分に低減できているのか、許容されるレベルなのかといったことを検討する必要があります。異常所見がゼロであることはあくまでスタートです。異常所見がゼロで満足してしまうと、異常所見ゼロが数年続いているから、もう特殊健診やらなくてもいいのでは?という考えも出てきてしまいますが、これは大きな間違いですので注意してください(特に、特殊健診をよく理解していない経営層や安全担当者、現場責任者にありがちです)。
生物学的モニタリングの落とし穴
特殊健診は、対象物質によっては血液検査や尿検査などの生物学的モニタリングがあります。しかし、検査には必ず偽陽性や偽陰性がありますし、業務には起因しない場合もありますので、結果の解釈にも注意が必要です。例えば次のようなことが要因となります。
生物学的モニタリングの結果が問題ないから、健康障害が起きていないということではありませんので注意してください。
「厚生労働省の生物学的モニタリングについて説明サイト」より、生物学的モニタリングの表を以下に添付します。また、このような説明もされています。
第一管理区分の落とし穴
「作業環境測定の落とし穴」でもご説明しましたが、作業環境測定にも多くの限界があります。そのため、作業環境結果が第一管理区分と良好であっても、特殊健診(特に生物学的モニタリング)が良好であるとは限りませんし、健康障害が起きないとは言えません。作業環境測定結果や特殊健診に頼りすぎることなく、職場巡視により実際の現場を確認したり、労働者からヒヤリングする必要がありますので注意してください。(参照:「職場巡視の落とし穴」、「作業管理の落とし穴」)
作業の常時性の落とし穴
作業によっては、不定期・突発で行われたり、半年に一度しかないといったものもあります。この場合に特殊健診は実施するべきなのでしょうか?実際には、詳細に明文化されたものはありません。参考になるものとしては、茨城産業保健総合支援センターの説明が分かりやすいと思われます。
つまり、「常時従事する労働者」とは、考え方としては継続性・反復性・定期性が考慮されるということになります。極端に言えば、1年に一回であれ、継続性・反復性・定期性があれば、特殊健診は必要と言うことになるでしょう。そんな頻度が少ないのに特殊健診が必要なのか、という声もよく挙がりますが、特殊健診の本質に立ち返って考えることが重要だと思います。当該作業において、残存リスクが高いのであれば特殊健診を行なう必要性も高くなるでしょうし、許容できるくらい低く制御されているのであれば特殊健診は不要という判断も合理的になります。ケースバイケースといえばそうなのですが、そもそもの特殊健診の意義を理解していないと考えることができません。また、現場の変化点管理(変更の管理)も重要です。仮に一度特殊健診が不要と判断されたとしても、その後も現場の状況は変わることがあります。例えば、作業方法が変わった、設備が変わった、設備が老朽化したといったことです。このような変化を把握する仕組みがなければ、気がつけば残存リスクが大きくなってしまっていて重篤な健康障害が発生してしまった、ということにもなりかねません。頻度が少ない作業だからこそ、見過ごされやすいリスクになりますので、産業保健職がリスクを適切に評価して、現場に助言していくことが求められます。
なお、 深夜業に常時性については労働安全衛生規則第五十条に以下のような定めがあり、深夜業についてはこれを以て作業の常時性と考えられます。ただし、これに該当しないから深夜業の健康障害が起きないということではもちろんありませんので注意してください(深夜業務後に、交通事故を起こしてしまうことも、ある意味では深夜業務の健康障害と言えるかもしれません)。