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20.職場巡視の落とし穴

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はじめに

人を診ない健康管理がないように、現場を視ない安全衛生管理はありません。安全衛生活動において職場巡視はその原点と位置付けられます。特に私が職場巡視で重要視しているのは次の3つです。
①「3現主義(現地・現物・現実)」
現場に足を運び、必ず現物を確認し、現実を認識することです。産業医の意見が実効性をもち、企業との解離が起きないためにとても重要だと思います。
②「質問力」
働く現場は働く人が主役であり、現場のことを一番知っています。産業医は質問力を駆使しながら、現場のことを教えてもらう姿勢が重要だと思います。
③「想像力」
職場巡視で得られる情報には限界があります。背景となる様々な情報を収集し、想像力で補強しながら、そこで起きうる健康障害を予防する力が重要だと思います。

産業医の矜持として「現場を知っていること」はとても重要だと考えています。働く人たちが、どのような環境で働いているのか、現場に精通していることこそが産業医に求められますし、現場に精通しているからこそできる判断・できる助言があると思います。産業医が企業に関わる形も様々あり、現場をどこまで把握できるかも変わってきますが、産業医は現場を知る姿勢にできうる限り努めるべきだと考えています。

目的なき職場巡視という落とし穴

目的なき面談という落とし穴」でも言及しましたが、職場巡視にも様々な目的があります。目的のない職場巡視では十分に職務を果たせません。状況に応じて何のために職場巡視をしているのかを理解する必要があります。また、事業所側(安全衛生担当者)のニーズも理解しながら、コミュニケーションを図ることも重要です。職場巡視の目的としては、例えば以下のようなものがあります。

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記録を残さない落とし穴

産業保健活動ではいくつかの文書に保管規定がありますが、職場巡視については記録の保管規定はありません。しかし、実施したことは原則として記録に残す必要があります。口頭指示のみでは、関係者とのミスコミュニケーションにも繋がりますし、担当者(衛生管理者や産業医自身も)の入れ替わりで忘れられてしまう恐れもあります。労働基準監督署による臨検監督指導や裁判などの公的な場面では、文書化されていない行為は実施しているとは認められない恐れもあります。産業医自身が作成する場合や、安全衛生の担当者が作る場合などありますが、何らかの形で職場巡視の記録は残すようにしてください。また、写真を撮って経時的な変化を記録し、関係者に分かりやすく共有することも有効です。

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産業保健21 職場巡視のポイントより

質問なき職場巡視の落とし穴

前述の通り、現場は働く人が主役であり、現場のことはそこで働く人が一番分かっています。業種によっては様々な職場用語もあります。どんな産業医であっても現場をみただけでは何も分かりません。分からないことは、現場の責任者や、作業の邪魔にならない範囲で作業者に積極的に質問し、教えてもらう姿勢が必要だと思います。

ルール・マナー違反の落とし穴

職場巡視では、現場のルールやマナーに則って行う必要があります。現場にはさまざまな安全衛生に関するルールがありますし、ヘルメットや安全靴、安全眼鏡といったドレスコードがあります。また、現場によっては挨拶や指差呼称、ポケ手禁止*、腕まくり禁止、写真撮影禁止、安全通路を通る、白線を踏まない、階段の手すりを持つ、ながらスマホ禁止などの独自のマナーもあります。作業者に声をかけて作業の邪魔をしないといったことも大切です。産業医自身がそういったルールを破ったり、マナー違反をおかしてしまうことは当然望ましくありません。巡視前に安全担当者に確認をしたり、もし違反してしまったら謝罪をするといった姿勢が重要でしょう。
*ポケ手:ポケットに手を入れながら歩くこと

あら探しの職場巡視の落とし穴

職場巡視は、職場の安全衛生上の問題を指摘をすることが最大の目的ではありません。もちろん、作業方法又は衛生状態に有害のおそれがあるとき(以下の条文より引用)、健康障害の原因となる箇所があれば、改善を促したり、改善策を話し合うことは大事ですが、ある種のパターナリスティック、上からの一方的な指導では、現場との信頼関係の構築が阻害されますし、結果的に環境改善に結び付かない懸念もあります。"問題点"ではなく"要改善点"と表現することも工夫の1つです。3つの良好点と、1つの要改善点を指摘するくらいのバランスがよいと思われます。

(産業医の定期巡視)
第十五条 産業医は、少なくとも毎月一回(産業医が、事業者から、毎月一回以上、次に掲げる情報の提供を受けている場合であつて、事業者の同意を得ているときは、少なくとも二月に一回)作業場等を巡視し、作業方法又は衛生状態に有害のおそれがあるときは、直ちに、労働者の健康障害を防止するため必要な措置を講じなければならない。

労働安全衛生法 第十五条

根拠が希薄な指摘という落とし穴

勧告権の落とし穴」の中でも根拠が希薄な勧告について触れましたが、産業医巡視による指摘についても同様のことが言えます。産業保健の専門家として、指摘する事項について産業医学的・法律的に妥当性・合理性がある内容であることが求められます。重大性などに応じて、根拠となる過去の労働災害、労働判例、法令などを添付することが望ましいです。

改善策なき指摘という落とし穴

勧告権の落とし穴」の中でも具体的対策なき勧告について触れましたが、産業医巡視による指摘についても同様のことが言えます。その企業の体力や指摘事項の重大性、実現可能性についても考慮し、対策がなぜ必要で、具体的な対策についても専門家として提言する必要があります。また一方で、安全衛生活動は労使の協働活動でもあります。改善策を関係者と一緒に考えるという姿勢も重要です。

非定常作業の落とし穴

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職場巡視の際に作業者がいない、作業が行われていない場合も往々にしてあります。巡視のタイミングが合わなかったり、作業の頻度が少なかったり、季節の要因や繁忙期の要因など色々な事情がありえます。そもそも、月に1度の巡視で作業すべてを確認することは到底不可能です。しかし実際には、頻度の少ない非定常作業があり、設備のメンテナンスや清掃作業、トラブル時、緊急時などにも労働災害や健康障害は発生します。そのため、作業が行われていない状況でも、想像力と質問力を働かせて職場巡視をする必要があります。また、あまり人が立ち入らないようなバックヤードや倉庫、設備の陰などの場所を巡視させてもらうことも重要です。

想像力なき職場巡視の落とし穴

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職場巡視の際に、ロッカーの上に重たい物が置いてあったときに、その前後の経緯に想像力を働かせないと、素通りしてしまいます。誰がそこまで運んだのか、取ろうとする際に危険性はないのか、脚立や台は使うのか、地震のとき落ちてきたりしないのか、なぜ置いているのか、そこに置く必然性はあるのか、整理整頓の職場の文化・慣習はどうなっているのかなど、物事の背景や前後についての想像力が必要になります。不安全状態を頭ごなしに指摘するのではなく、このような前後の経緯まで想像力を働かせる姿勢もまた重要になります。

仕組みに落とし込まない落とし穴

職場環境を指摘した際に、その場限りの改善ではまた同じことが起きてしまいます。それでは、職場の安全衛生レベルは向上していきません。そのため改善は、仕組みに落とし込むことが重要です。仕組み化としては、年間計画に落とし込む、規則・ルール・マニュアルに落とし込む、機械化する、チェックリストなどの帳票で管理する、安全衛生委員会で議事事項にする、といった方法があります。属人化させずに、標準化するという表現でもよいかもしれません。(属人化の意味はこちら

その場限りの対策という落とし穴

労災などの事象が起きたときに「なぜなぜ分析」を取り入れることも有効です。例えば、「階段で転落した」という事象に対して、その場限りの対策では、再発防止対策としては不十分です。

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「なぜなぜ分析」とは、ある問題とその問題に対する対策に関して、その問題を引き起こした要因(『なぜ』)を提示し、さらにその要因を引き起こした要因(『なぜ』)を提示することを繰り返すことにより、その問題への対策の効果を検証する手段である。トヨタ生産方式を構成する代表的な手段の1つです。(wikipediaより

同じ「階段で転落した」という事象でも、なぜを繰り返すことによって本質的な対策に繋がりますし、対策を仕組み化することも重要です。

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ヒューマンエラーの落とし穴

人は様々なエラー(間違える、忘れる、勘違い、過信、疲労、怠慢)を起こし、それがヒューマンエラーという概念です。啓発や教育などでヒューマンエラーを起こさないようにすることが重要ですが、ヒューマンエラーはゼロにはなりません。職場の安全衛生環境を向上するために、ヒューマンエラーが起きるもの、という前提にたつことが重要です。(「労災ゼロという落とし穴」参照)

月に1度だけ職場巡視という落とし穴

職場巡視は法令で毎月に1回以上(条件によって2月に1度以上)と定められていますが、月に1度とこだわる必要はありません。特に重要な場面においては、積極的に現場を確認する必要があります。逆に言えば、現場を知らなければ産業医として重要な決定はできないとも言えるかもしれません。
例えば、産業医意見を発行する時、特殊健診の有所見時、職場復帰を検討する時、職場復帰後、労災が発生したとき、再発予防策を検討するときなどにおいてです。さらには、地方の拠点や海外の拠点に行く場合や、事業所ではなく工事現場、他社事業所(他社の構内で請負業務や搬送・設置業務などを行う場合)に行くことも必要かもしれません。法令の枠組みにとらわれずに、積極的に労働者が働く現場を直接確認するということが重要です。

なお、私は過去に道路での作業現場に同行したことや、10数人しか在籍していない地方拠点への訪問、海外拠点訪問、障害者が働く特例子会社などにも現場を確認するために行ったことがあります。

おまけ1:職場巡視の提案力を上げるためのおすすめ方法

産業医一人が経験できる現場には限りがあります。現場での提案力を高めるための情報収集が必要です。以下おすすめです。
○良好事例の写真を見る
厚生労働省 「見える」安全活動コンクール優良事例
○動画を見る
・職業情報提供サイト(日本版O-NET)職業紹介動画 例:バックヤード作業員
GAKKEN キッズネット動画
オンライン工場見学できる会社のまとめ
○Twitter活用
#オンライン職場巡視 で検索
・災害が起きた際の投稿を見る
例えば地震が起きた際にどうなってしまうのか、というイメージを共有することができます。ニュース画像やツイッター画像は有用だと思います。

参考資料

坂本史彦 , 山本健也 . 職場巡視ストラテジー
改訂 写真で見る職場巡視のポイント (産業保健ハンドブックシリーズ3)
岩崎明夫. 労働衛生対策の基本④職場巡視のポイント.産業保健21 2015:80; 12-15
まるわかり職場巡視 工場編 (How to産業保健)
まるわかり職場巡視 事務所編 (How to産業保健)

おまけ2

なお、職場巡視についてはこのような論文も出ているので参考にしてください。

Andersen JH, Malmros P, Ebbehoej NE, Flachs EM, Bengtsen E, Bonde JP. Systematic literature review on the effects of occupational safety and health (Osh) interventions at the workplace. Scand J Work Environ Health. 2019;45(2):103-113.

抄録(DEEPL翻訳)
目的 本レビューの目的は、労働安全衛生(OSH)の立法および規制政策が、労働災害や死亡事故、筋骨格系障害、労働者の苦情、病気休暇、有害な職業暴露のレベルを低下させるという観点から、労働環境を改善できるという証拠を評価することである。方法 1966年から2017年(2月)を対象としたシステマティックな文献レビューを実施し、OSH作業環境への介入について、介入効果を定量的に測定した出版物および灰色文献の研究を収集した。指定されたin-exclusion基準を満たした研究は、方法論的品質の評価を経た。収録された研究は、5つのテーマ別ドメインに分類された。(含まれた研究は、(i)OHS法の導入、(ii)検査・強化活動、(iii)知識向上などの研修、(iv)キャンペーン、(v)機械的な昇降補助具などの技術的装置の導入、という5つのテーマ領域に分類された。エビデンスの統合は,メタ分析と修正した GRADE(Grading of Recommendations, Assessment, Development and Evaluation)手法に基づいて行った。結果 査読付き文献を検索した結果,14 743 件の雑誌記事が見つかり,そのうち 45 件が組み入れ基準を満たし,メタ分析の対象となった.灰色文献では5181件の論文・報告が確認され、そのうち16件が定性的に評価された。傷害やコンプライアンスに関して、OHS法や査察による改善を示す中程度の強い証拠があった。結論 このレビューでは、立法および規制政策によって、負傷者や死亡者が減少し、OHS規制のコンプライアンスが改善される可能性があることが示された。心理的障害や筋骨格系障害を対象としたOSH規制の効果については、大きな研究ギャップがあることが明らかになった。

ざっくりと言えば
Workplace inspectionsは
・injuries(労災?)を減らした(OR 0.83, 95% CI 0.73–0.93)
・compliance(法令違反?)を減らした(OR 0.65, 95% CI 0.50–0.83)
・claim(補償請求?)を減らした(OR 96, 95% CI 0.94–0.98)
ただし、これは産業医の職場巡視ではなく、巡視というより強制性があるの査察に近いもののようです。

Occupational safety and health enforcement tools for preventing
occupational diseases and injuries (Review)

巡視は長期的には労災を減らすが短期的にはそうではない
There is evidence that inspections decrease injuries in the long term but not in the short term.
効果の大きさは定かではない
The magnitude of the effect is uncertain.
化学物質や身体(筋骨格系)への曝露は研究がない
There are no studies that used chemical or physical exposures as outcome.
一般的な巡視よりも特定の目的がある巡視の方が効果がある
Specific, focused inspections could have larger effects than inspections in general.
罰金やペナルティの効果は定かではない
The effect of fines and penalties is uncertain.
エビデンスのレベルは低いかかなり低いため暫定的であり、結果は変わりうる。
The quality of the evidence is low to very low and therefore these conclusions are tentative
and can be easily changed by better future studies.


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