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臨床に活きる産業医研修会の知識 〜資格取得だけではない受講のメリット〜

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はじめに

とある方からこんな質問をいただきました。

「産業医をやる予定はないんだけど、産業医資格取る意味ってある?」

そう、この質問は臨床ガチ勢の先生たちと絡んでいるときには、ちょこちょこいただく質問なんですよね。臨床ガチ勢の方々にとって、産業医を始めることは「1社目の壁」もあってけっこう手間でしょうし、その後に医局人事やらなんやらで産業医を続けるかも分からない、、、だけども、産業医資格は取れるときに取っておきたい、いつかやるかもしれないし、頼まれるかもしれないし、ということだと思います。。研修医や、大学院に行っているとき、育休・産休中とか、50単位の集中講座を受講できるような時間的余裕があるタイミングはそう何度もくるわけではありませんし。とは言え、産業医資格ってどうなん?研修会って面白いの?というように考えるのも自然ですよね。

産業医研修会おもしろいよ!産業医活動をしないとしても、ぜひ機会があればとってみてください!」といつも説明しているのですが、時間があまりなくて十分に説明できていないので、産業医資格を取るための50単位の産業医研修会を受講することのメリットとして、資格が取得できる以外に「臨床にどう活きるのか」ということを説明していきたいと思います。とは言え、私自身は、産業医大出身であり、いわゆる医師会主催の産業医研修会を経て産業医資格を得たわけではありません。そのため、産業医研修会を受講された先生方の感想や、自分自身の産業医を始めたての記憶を織り交ぜつつ、さらには、受講される先生方にこのあたりはご理解頂きたい(持って帰っていただきたい)という期待も含めて書いておりますので、その点はご容赦ください。(かなり押し付けがましいかもしれませんがご容赦ください!)

1.医師・医療者の働き方を考える機会となる

50単位の産業医研修会を受講することで、一般的な働き方に関する知識を学ぶことができます。例えば、労働法(例:労働基準法や労働安全衛生法など)や、労働災害、労働による健康障害といった事項です。もちろん、医学部でも多少は学んでいるのだと思いますが、ほとんど全ての医学部において産業保健関連の授業はほんのわずかなコマしかないでしょうし、国試にもほとんど出ませんので覚えている方はごく僅かだと思います。そして、卒業後に医師として社会に出てからも医師としての働き方、医師の労働者性について考える機会もほとんどなく、世間では非常識とされる労働環境(サービス残業、長時間労働、ハラスメント、患者からの暴言・暴力)に放り込まれているとも言えます。そのような医師たちが産業医研修会で、自身もまたいち労働者であることを気づくのだと思います。「やっぱりおかしかったんだ」と仰る方や、「自分の勤める病院の労働環境を改めようと思った」、「病院の安全衛生委員会に出てみる」という感想を持たれる方もいます。産業医活動をされないとしても、医師一人一人が自身の働き方を見つめ直し、自身や職場のメンバーの安全で健康的な働き方を考えていただくことは非常に重要なことだと思います。医療活動においては、種々の感染症、針刺し、抗がん剤やホルマリンなどによる化学物質、放射線、MRIによる騒音、転倒、腰痛、交代制勤務・夜勤による問題、長時間労働、ハラスメントなどなど様々な健康障害要因が潜んでいます。チーム医療のトップである医師が、チームメンバーの「安全と健康の確保」のための知識を持っておかなければ、質の高い医療は提供できないでしょう。産業医講習会を受講することによって、医師・医療職が安全で健康的に働くための、最低限の法的知識や、安全衛生知識を持って帰っていただくことは、とてもよいことなのではないかと思います。実際の具体的なアクションとしては、安全衛生委員会に出てみる、職場巡視の結果を確認する、産業保健サービスを利用する、産業保健活動の必要性を病院側に提起するといったことが挙げられると思います。医師もまたいち労働者として、自身の安全で健康的な労働環境を追求することが、他の医師、医療職の安全・健康にもつながり、ひいてはそれが持続的な医療の実現にも寄与するのではないかと個人的には考えています。50単位の講義の中には、退屈だと感じるものもあるかもしれませんが、ご自身の働き方に照らし合わせることによって、自分ごととして聴くことができ、ご自身や一緒に働くメンバーたちが健康を維持したまま働くことのヒントを得ることができるようになるかもしれません。

補足:労働者性とは

2.職業人生も含めた患者の背景をよりよく知ろうとする

普段皆さんが診療している患者は、様々な人生の背景を持っています。「母」であったり「子供」であったり、地域の中で何らかの役割を担っているかもしれません。そして、多くの人が仕事という側面を持ち、会社では「部長」であったり、熟練の腕を持った「職人」かもしれませんし、はたまた「フリーター」や「派遣社員」なのかもしれません。そのような患者の職業人生も含めた背景を知ろうとする意識が産業医研修会を受講することよって高まるかもしれません。患者の職業人生という背景を知ろうとすることによるメリットを4つ紹介します。

豆知識:「健康保険法」の下にある「保険医療機関及び保険医療養担当規則」(いわゆる「療担規則」)の第20条に「診察は患者の職業上の特性を顧慮して行う」ことが示されています(実は自分も研修会で知りました)

第二十条 医師である保険医の診療の具体的方針は、前十二条の規定によるほか、次に掲げるところによるものとする。
イ 診察は、特に患者の職業上及び環境上の特性等を顧慮して行う。

保険医療機関及び保険医療養担当規則 第二十条

健康問題の原因があるかもしれない

社会的健康の決定要因(Social determinants of health:SDH)という概念があるように、健康は様々な社会的状況から決定されるものであり、その1つとして職業があります。病院で診る患者の困りごと(健康問題)は、個人に起因するかもしれませんが、労働環境に起因しているかもしれません。例えば、治らない喘息の原因が職場の気道感作性物質によるものであったり、長年の頭痛の原因が長時間の監視作業によるものであったり、腹痛の原因が鉛曝露によるものかもしれません。また、転勤によって通勤手段が変わったことによって肥満が引き起こされたり、血圧が高いのは食堂がないために毎日カップラーメンを食べざるをえないからであったり(さらには汁を捨てられない建屋ルールがあるために汁を全て飲む職場もあります)、職場でのイライラを過食で沈めている方や、上司がタバコを吸うから禁煙できない方もいたりします。もちろん、外来では職業生活を問診するでしょうが、質問の仕方一つでうまく症状につながるような回答を患者から引き出せるかどうかは変わります。患者が自身の症状の原因が働き方にあると認識していないうちは、特に問診で引き出すことは難しくなるでしょう。産業医研修会を受講することで、患者の健康において職業がどのように影響しているのかということにより興味・関心が湧いたり、また問診の精度が高めることができるかもしれません。

健康を決める力:ヘルスリテラシーを身につける.

患者の価値観にもっと寄り添えるかもしれない

人によっては職業は人生の中でも大きなウェイトを占めます。生きがいだったり、もはや人生そのものだという方もいるでしょう。健康を犠牲にしても成し遂げたいこと、やりたいことがある方もいるでしょう。これはなにも、危険が伴うエベレスト登山を行うアルピニストや事故一つで亡くなるかもしれないレーシングドライバーといったレベルに限らず、ゲーム制作のクリエイターやシステムエンジニアといった方々もそれぞれの価値観で強い想いをもって仕事をされています。個々の患者によって職業人生による価値観への影響度合いは異なるでしょうが、人によっては治療方針を左右させることもありうるでしょう。職業人生を知ることはその人の価値観を知ることであり、全人的医療(人間として包括的に診ること)を目指すのであれば、決して欠かすことのできないものだと思います。普段からも患者の価値観に寄り添った診療をされていても、産業医研修会を受講することで、より深く患者の価値観に寄り添うことができるようになるかもしれません。

受療行動をもっと高められるかもしれない

糖尿病の5割、高血圧の7割、脂質異常症の9割が病院を受診していないという調査があります。つまり数値的な異常があっても、外来を訪れる患者は一部であるということです。

生活習慣病対策はヘルスリテラシー向上から|学会レポート|糖尿病・内分泌|医療ニュース|medical tribune. Medical Tribune.

後述する通り、職域現場で異常所見を有する労働者を医療に繋げることも大切ですが、来院した患者に必要な医療を提供し続けることも同じくらい大切です。そのためには、患者がなぜ受診したのか、なぜ受診しなくなるのか、どうしたら受診し続けてくれるのか、といった視点を持つことが役に立ちます。もちろん、産業医研修会を受講することで、この問題の解決方法が提示されるわけではないのですが、患者の職人生を含めた社会背景をもっと想像することができれば、患者が来院しない理由、来院しなくなる理由に対して、より良いアプローチすることができるようになるのかもしれません。

治したあとの生活をもっと想像できるかもしれない

最近は、労働力の減少や、医療の発達で治る病気が増えてきているといった社会背景もあって、治療と職業生活の両立を支援する動き(両立支援)が活発になっています。例えば、種々のがんや難病、血管疾患についても発症しても職業生活を送れるようになり、治療しながらでも働けるような支援することが医療機関に求められています。国の動きとしても、「療養・就労両立支援指導料」を創設したり、ガイドラインや主治医と企業との連携に関する書式を整備しています。両立支援コーディネーターの基礎研修を受けた方も徐々に増えてきました。

両立支援コーディネーター|労災疾病等研究普及サイト.

このような流れの中で、主治医は単に治療を行うだけではなく、治療方針を決めるための様々な社会背景や、治療した後にどのような社会生活を送るのかにも注目することが求められつつあるのではないかと思います。もちろんそれを考えるソーシャルワーカーやコーディネーターも医療機関にいるとは思いますが、やはりチーム医療のトップである医師がそのことに想像力を働かせるという事は非常に重要なことだと思います。それは患者にとっても大きな励みになるかもしれません。そして、産業医研修を受講することで、その意識がより増すのではないかなと思われます。

なお、両立支援についてもっと詳しく知りたい方は、自主学習サイトがありますのでおすすめです。二つの動画を見てみるだけでも、ぜひどうぞ。

3.診断書の効力を知る

*この事項は、講義だけでは難しく、1社でも産業医を経験することで実感できることかもしれません。

病院で診療側(主治医側)しか経験していないと、自身が作成した診断書がどのように扱われるか、どのような効力を発揮するのかという事はなかなか分かりにくいと思います。しかし、産業保健現場(職域)では、主治医の診断書と言うものは非常に大きな効力を発揮し、時に主治医の診断書は現場に混乱を引き起こします。産業医研修会に診断書の書き方の講義があるわけではないのですが、産業医は診断書を翻訳し企業側に説明することも求められますので、産業医研修会でも、その一端を学べるかもしれません。また、実際に産業医活動を始めると、労働現場の実情をほとんど無視した厄介な診断書にも出会えるかもしれません。

4.受療行動の受け止め方が変わる

*この事項は、講義だけでは難しく、一社でも産業医を経験することで実感できることかもしれません。

産業医活動をある程度やっていくと多くの方が実感するように、労働者を受診につなげるのは非常に手間がかかります。健康診断の結果、面談やメールなどで受診を勧奨しても皆がすぐに受診してくれるわけではないからです。受診をしない理由には様々で、忙しい、お金がない、面倒、まだ健康だから大丈夫、必要性を感じないなどありますが、いずれにせよ受診勧奨というのはなかなかてこずるものなのです。そして、せっかく受診をしてもらったものの、けんもほろろに病院で邪険に扱われ、帰されてしまうことが発生します。まだ若いから大丈夫、なんでこの程度できたの?といった具合です。せっかく受診したにも関わらず、大丈夫と言われたことがあると、その後の受療行動や生活習慣改善に対して抵抗が生じてしまいます。その後に産業保健職がなにを言っても頑として受診しないという人もいます。受療行動をかんたんに否定されるとその後が大変ということは、産業保健側に立ってみるとより痛感できることなのではないかと思います。(産業保健側の受診勧奨のやり方にも工夫が必要です。参照:「受診勧奨の落とし穴」)産業医研修会を受講したり、実際の産業医活動を行うことで、労働者の受療行動に対する受け止め方というのは変わっていくのではないかと思います。かく言う自分も、産業医を経験する前は、健診後の若い受診者はあまり丁寧に対応していなかったような気がします。どうしても、それ以外の重症感のある方、高齢な方などに時間を割かざるをえなかったからしょうがないと自分を納得させていたように思います。

5.予防の重要性に改めて気が付く

どのような病気であれならないにこしたことはないでしょう。それは、医療職の誰もが分かっていることだと思います。しかし、日常診療に追われていれば、予防の観点がどうしてもおろそかになってくるように思われます。そういった意味で、産業医活動は予防医療なのですから、産業医研修会というのはどっぷりと予防のことを考えられる時間です。そのため、産業医研修会の受講後に、その予防医療に従事したいとは思わなくても、予防ってやっぱり大事だよな、とは感じていただけるのではないかと思います。そして、それは僅かでも日常診療に良い影響をもたらすのではないかと妄想していますし、ひょっとしたら、受講者自身の健康意識にも影響が出てくるかもしれませんよね。(個人的には医師自身が健康を保つことは極めて重要だと思っているので、この5つ目も追記してみました)

終わりに

この記事は、産業医研修会を受けた方や、これから受けようとされている方向けに書いてみましたが、いかがだったでしょうか?産業医研修会は非常に長いですし、息切れしやすいため、全部を集中して聴くのはかなりしんどいと思います。そして、受けるだけで資格は取得できますから、聴かなくてもなんとかなります(実際に一部の方は眠っていたり、内職しています)。しかし、自分ごととして聴講することで、臨床にも活かせる学びが得られる可能性があると思います。仮に産業医活動を行わない方でも、気になるものだけでも、しっかりと聴講していただき、その後に活かせる知識を得ていただけば幸いです。

おまけ

産業医研修会についてはこちらにまとめています。

産業医に関するQ&Aをこちらにまとめています。

投げ銭用

たいしたことは書いてません。
とある産業医研修会のヒヤヒヤした思い出を1つだけ書いてます。

専門家同士のガチバトル

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