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『新生児にとって私は親ではなくて、世界だ』

産前に読んだ本で、ハッとしたフレーズがある。

新生児にとって私は親ではなくて、世界だ。世界を信用してもらえるように、できるだけ優しくしようと思った。

『母ではなく、親になる』(山﨑ナオコーラ、河出書房新社)

生まれたばかりの小さな小さな赤ちゃんのそばには、いつも私と夫がいる。彼女は私たちを通して、この世界への旅路をはじめている。


前回の記事を書いたのが出産1週間ほど前。無事に出産して、何もかもが初めての育児生活がはじまり、2ヶ月が経った。ここまでを振り返って、徒然と。

お腹にいた時、毎日ウォーキングしていた坂道


刻み込まれている動物としての身体反応

産前産後、目まぐるしく変化していく自分の身体に驚いた。赤ちゃんの日々の成長にも。人間の身体ってほんとーーーによくできてる。

  • まずもって10ヶ月間かけてお腹の中で新たな生命を育てられることに感動した妊娠期。勝手に骨とか臓器とかできてくんですよ。どゆこと?

  • 出産時の痛みについて。先輩母たちに体験談を聞くも多くの人が「もう忘れたなぁ」と言う。こんなに痛いのに覚えてないはずないやん、と思っていたけど、実際既に忘れかけている。人類として何人も産むために、痛みを忘れるようにプログラミングされているに違いないと思った。

  • 赤ちゃんが乳を吸うと、通常時の何倍もの大きさに膨らんだ子宮が収縮されていくらしい。実際、授乳しているとお腹の奥がキューッと反応してる感覚がある。母と子の共同作業。

  • 自分の乳房から本当に乳が出てきたことにも感動。最初の二週間ほどは身体が乳生産に不慣れすぎて胸がカチンコチンに固くなり痛かった…。けど、そこから少しずつ目の前の赤子に最適化されていった。調整力すごい。

  • 生まれる前は、「夜間の授乳とか細切れ催眠が毎日続くなんて無理...!」と不安しかなかったけど、なんとかなる。眠いっちゃ眠いけど、なんとかなった。がんばるとかがんばらないとかじゃなくて、自動で目が覚める。適応力すごい。

  • 産後1ヶ月過ぎ、我が子はふくふくと肉付きが良くなっていく一方で、こちらは肩こり、腰痛、手首痛、膝痛、口内炎と不調のオンパレード。乳が栄養を独り占めしているし、筋力が落ちるとこうも身体がズタボロになるのかと実感。

  • こちとら栄養バランスを意識してできるだけ多品目を食べる。水分補給もしっかり。一方、我が子は乳だけで生きている。乳、スーパーフードすぎない?


普段は濁流のような情報量の中を生きていて、その処理に自分の脳はフル稼働している。けれども今は、情報処理に使うエネルギーは限りなく減っていて(単純なことでもすぐ判断ができなかったり、まとまった文章を書けなかったり、かなりポンコツになっている)、育児に必要な身体の変化と適応に全振りしている感じ。自分が動物であることを思い知る。
産後、産院で身体を休めながら『ものがわかるということ』(養老孟司著、祥伝社)を読んだ。個性は心よりも身体にある。自分の身体の変化をこれまでにないほど目の当たりにし、また出産・育児には母と子の個体差がとても大きいことも実感している。
これからもこの身体と付き合って生きていく。日々の行動や習慣の積み重ねが身体をつくり、いずれ目に見える形で現れてくる。もっとケアしてあげようと思った。


非言語で通じあう

初めての育児はわからないことばかり。寝てる時にも起こして授乳した方がいいのか、1日のうんちの回数が多すぎるんじゃないかとか、顔に赤いポツポツが出てきたけど病院に行くべきか様子を見るべきか、等々…。なんでもとにかくネットで検索しまくっていた。
自分の中に答えがないので不安になり、信頼できる答えを探そうとする。育児書が売れる理由がよく分かる…。けれども色々と読めば読むほどネットでも本でも意見が分かれていたりして、沼にはまる。

赤子とは言葉を介したコミュニケーションができないので、欲求を推測するしかない。そして生きることに全力な彼女には、我慢するとかこちらに配慮するとかの選択肢は当然ながら、ない。不快な時にはとにかく泣き、ニーズが満たされるまで泣き止むことはない。
「言葉がコミュニケーションのすべてではない」という当たり前のことに立ち返り、目の前の生き物と対峙する。

1ヶ月を少し過ぎたくらいからなんとなくリズムができてきて、徐々にコミュニケーションを楽しむ余裕が出てきた。我が子もこの世界に徐々に慣れてきたらしく、動くものをキラキラした目で見つめたり、無防備に両手両足を投げ出して寝たりと、暮らしを満喫していらっしゃる。
眠りたい時は縦揺れ(スクワット)からの横揺れだと寝やすいんだな、とか。授乳のあとに身体をひねってジタバタしてる時はおならかうんちを出そうとしてるんだな、とか。授乳してもおむつ替えても泣きやまないときは、ただただ抱っこしてほしいのだろう、とか。試して試して、なんとなく分かってくる。
そしてちょっと傾向を掴んだと思っても、翌週にはまた成長とともに変化しているので、こちらも対応を変えていく。ともに変わっていく。


「子育てしやすい環境」とは?

私も夫も移住組で、町内はもちろん県内にも親族はいない。それでも里帰りせず、自宅で子育てすることを選んだ。それは、きっと大変であろう乳幼児期の育児を夫と一緒にやりたいと思ったから。そして、困ったことがあっても周囲の助けを得てなんとかなるだろうと感じていたから。

産前、たくさんの人が私の大きくなるお腹を撫でて誕生を楽しみにしてくれた。
先輩母たちからはベビーベッドやベビーバスなどの大型育児グッズ、さらには新生児の肌着や抱っこ紐等々、育児用品をたくさん譲ってもらった。出産時のエピソードや、小児科のない町内で子どもの体調不良にどう乗り切っているかなども聞かせてもらった。
産後は、家から出られない時に友人やご近所さんたちが続々と会いに来てくれた。
出かける先々では、たくさんの人たちが「やっと会えたね」と誕生を祝福してくれた。

このまちに移り住んで、結婚して、子どもを産んで。
既に知り合っている人たちからすれば、「森山さんのところに子どもが生まれた」という地続きの出来事。「⚪︎⚪︎ちゃんのママ」からのスタートではない。
我が子もこれから先、いろんな人たちから会うたびに「大きくなったねぇ!」と声をかけられながら育っていくだろう。
人生のステージとコミュニティ。それぞれに連続性がある。どんな経済的支援よりも豊かで、ありがたいことだと思う。

近所のおねえちゃんからのプレゼント。待っててくれてありがとう


最近、我が子が「あああー」とか「にぇい」とか音を発することが増えた。クーイングというらしい。
これがなんとも愛らしくて、動画を撮りまくってみるのだけど、撮ったものを聞き返してみるとどうにも違う。甘さみたいなものが薄れていて、ちょっと機械的な高い声になってしまう。この甘さをまとった声を残せないことはとても残念。たっぷり生音で聞いて堪能しておこうと思う。

あなたの眼に映る世界が、美しいものでありますように



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