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少しは不便でもいいから、もっとのんびりさせておいて貰いたい。

今回も、中野孝次著『生きることと読むこと-「自己発見」の読書案内』を読んでいて、面白かった箇所を紹介します。

中野は、先輩作家尾崎一雄が老年のころ、親しく出入りをするようになったことを、人生の幸運の一つとみなしていました。尾崎の陶淵明風の生き方に、大きな魅力を感じたそうです。彼は書いています。人間社会での格闘に勝つことに一生こだわるより、世間から一歩退き、人生の最も根源的なものにだけ意識を向け、後はできるだけ塵労を避け、生をたのしんでいた尾崎の姿を、羨むべきものに見えてきた、と。そして、現代文明を作り出した人間に対する抗議がテーマである尾崎の『虫も樹も』の一節を使い、バブル経済にうかれていた当時の日本人へ警告しています。

私もずっと文明開化の恩恵に浴してきて、いろいろ便宜を得ているのだから、文句は云えぬわけだが、それにしてもこの頃の人間には、暴走の嫌いがあるのではないだろうか。
私は月旅行なんかしたくない。火星のどこかに土地を持とうなどとは思わない。一発の原子爆弾で十何万の人間を殺して何が面白いか。
そんなことを考え企て実行するのは、一部の人間である。極く一部の、優れた頭脳と、たくましい意慾と、功名心と権力慾とをもった人間の仕業である。そういう人間は、皆、エライ人として尊敬されるのが普通だ。しかし、私は尊敬したくない、軽蔑したい。
少しは不便でもいいから、もっとのんびりさせておいて貰いたい。

今の世の中に対して、私が言いたいことの大半を、尾崎や中野が代弁して、すっきりしました。

便利さや快適さを求め、「暴走の嫌い」がさらに加速しています。人間はそれによって、幸福になるどころか、むしろ不幸になっていると思います。スマホの画面と終日にらめっこして、情報収集することが、便利さなのか。ゲームやSNSに夢中で、不眠症になってしまうのが、快適さなのか。違うと思います。少しは不便でもいい。スマホなんか持たず、海や動植物だけ眺めて、数日のんびりする。そんな時間がなければ、人間らしい生活とは言えないと感じました。





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