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画文の人、太田三郎

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このマガジンで取り上げるのは、明治大正期にスケッチ画や絵物語で活躍した太田三郎という画家である。洋画家として名をなしたが、わたしが関心があるのは、スケッチ画の画集や、絵葉書、伝承…
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#コマ絵

太田三郎の画集『ひこばえ』の美本が届いた!

 2009年頃からテレビを見ることはなくなったが、配信で流れる番組が目に入ることはある。  戦前をあつかったドラマで、本棚が映るとたいていは、茶色っぽい本が収められていることが多い。  待て、待て、それは間違ってはいないか。  戦前は,今から見て昔、だから本棚の本は古本のような昔の本っておかしくないか。  本棚の本はドラマの時代の新刊である場合が多いのだから、それは新しい美本でないとおかしいのではないかと思うのである。  どうやら世間では、昔の本というのは茶色っぽい古本だ

太田三郎と創作版画(上)

 今回は、創作版画と太田三郎の関係について取り上げてみたい。  本来は、もっと細部を詰めてから公表するつもりであったが、清須市はるひ美術館で、2024年11月〜12月に太田三郎展が開催されることとなり、これまでにわかっていることを整理するのも意義あることだと思い、公開することとした。 1 創作版画とは  太田三郎は短い期間であるが、創作版画の領域で活動している。  創作版画が認知されるまで、版画は、複製の工芸品と見なされることが多かった。創作版画とは、〈複製〉ではない

竹久夢二と太田三郎:生方敏郎『挿画談』を読む

 このタイトルで、今の知名度を考慮すると、竹久夢二はほとんどの人が認知できるが、太田三郎はほとんどの人が知らないのではないかと思う。  しかし、1910年前後では、このふたりは印刷された絵画の領域で活躍していた。  わたしは、このふたりがならべて言及されている事例を探していた。 竹久夢二、太田三郎は併称されるか ブログ《神保町系オタオタ日記》の「竹久夢二や妖怪を愛した廣瀬南雄の『民間信仰の話』(法蔵館)——大阪古書会館で出口神暁の鬼洞文庫旧蔵書を発見——」とい

雑誌『ハガキ文学』における活動 画文の人、太田三郎 (8)

太田三郎と絵葉書 さて、太田三郎と絵葉書の関係を考えるとき二つのアプローチが可能である。  まず一つ目は、絵葉書ブームに随伴する形で、博文館が日本葉書会を組織して刊行した雑誌『ハガキ文学』における記者としての活動である。  二つ目は、絵葉書の制作者としての活動である。  今回は、雑誌『ハガキ文学』と太田の関わりについて記すことにしたい。 『ハガキ文学』と太田三郎『ハガキ文学』について  雑誌『ハガキ文学』は日本葉書会が発行元であるが、実質は当時の大手出版社博文館が運営して

画文の人、太田三郎(3) コマ絵のサイン

 申し込んだ資料がまだ届かないので、待っているうちに小さな話題を取り上げよう。コマ絵(活版印刷の紙誌面の空白を埋める本文と関わりのない絵)やスケッチ画、絵葉書には描き手のサインが入ることが多い。  今回は太田のサインの意味について考えたい。ブログ(《表現急行》)に思いつきを記したのだが、それを補足してここに掲げたい。ブログの元記事(「太田三郎のサイン」)は非表示にした。 太田の鳥マーク 太田三郎のサインは鳥の形をしていて見分けやすい。見つけると「あっ、太田の鳥マークだ」とい