エッセー尾形3【エッセイ】

なんとなくくさくさする事ばっかりで小説を書くのも読むのもなんとなく気が引けて、Twitterで例えば猫が蛇口から水を飲もうとして頭からかぶってしまう様を見て脇腹を一掻き、スーパーで買った98円の綿菓子を口で溶かしているともう辺りは暗くなるといった毎日…そう出社1ヶ月で仕事を辞めました。

辞めた理由なんてひとつじゃなくて、例えば客がやたら暗い顔をしてるとか自分の田舎っぺフランク対応が今までウケてたのに通じないとかそもそもブランドが好きではないとか普通に自分に職が合わないっていう正当なものから、毎日ポニーテールするのが禿げそうで嫌だとかヒールが嫌だとか通勤が長いとか暑いとか寒いとかとかとんとんって感じで、決定的なものはないのだけど、こないだ電車でちょっと嫌なことがあって、ほんとにちょっとだけどね。

その日はやたら暑くて職場の雰囲気もむんむんしてて教育してくれる店長先輩方もむんむんして私もむんむんしていっぱいのことをみっちり教え込まれて、やはり脳が法律やルールや料金や白い犬やジャン・レノでむんむんしながら、電車に乗車、汽車で帰社。国分寺から二駅くらいでオレンジ色のピコTシャツを着こなしたガイが座る私の目の前に立って、単行本を広げる。端末社会で活字を読むのは関心と思っていたら、その紀伊国屋のブックカバー越しにチラチラしてくる。奇妙に思いながらも何駅か過ごす。私の隣とその隣と前とその隣と人が降りてガランとしてくる。私であればその空いた席に向かって「3,2,1」のカウントの「2」おわりくらいでAボタンアクセルをふかすところだが、オレンジは動かない。ずっと私の前に立ちチラチラする。チラチラして私の乗り換える一個前の駅で降りた。
ピコTのオレンジが脳裏にチラチラしたまま私は乗り換え、今度は一車両に5人くらいしか乗っていない、幽霊列車のごとき電車に乗車、頭痛が痛い。二駅くらいで赤いアディダスTシャツの男が乗り込んできた。私の前に立ちこちらを凝視した後、私から一人ぶん空けた席に座りじっとこちらを凝視。私も向かいの窓の反射越しにそれを凝視。二人の視線が三角に交わりその様子がまるで某秘密結社のロゴマークにそっくりだと髭スーツの芸人から国民へその真偽判断を委ねられそうになったとき、赤シャツは席を立ち、隣のベンチシートへ移っていった。フラれたと思った。なんだか赤い夕日が白いカーテンに写された放課後が思い出され、その苦いノスタルジーを抱えたまま最寄り駅。
その後普通に改札の前で滅茶苦茶な勢いで変なおっさんにぶつかられて怒鳴られて私の心は折れました。

そんで今こうやって深夜に綿あめを口で溶かして、これでよかったと思い込ませている。元来、人間ではなくホモサピエンス的な、寝て食べてセックスして読書をして鼻歌を歌いながらベランダのサボテンに水をやる生活にあこがれていたじゃないか、むしろ、その生命大事にの精神が格好いい。なんて思っているけど、皆かの「ステイホーム」期間にそれをこなし、なんなら料理を上達さす、勉強をする、アートをやるなどの精神の向上を済ませており、よく睡眠をとったつやつやの顔でいつもよりもハイスペックに更新されたOSでやっと出社、白いシャツ、輝く魂。格好いいどころかむしろ彼らの二番煎じ、真似っこ、ブームに乗り遅れている訳で、もうくさくさしてくさくさしてどうしようもない。

そんな私が綿あめを食らいながら読むのが

『ゴランノスポン』町田康(新潮文庫)

人間は滑稽で、駄目で、それを別に肯定する訳でもなし、悪いものは悪い、良いものは良い。
表題作「ゴランノスポン」のヨーグルトの上澄みのすっぱいところ的ハッピー感みたいなやつが全部がらがらくずれちゃえばいいのに。